上級者向け 受験マニアックス
2020年2月号 ゆとり教育の成果と課題
2019年12月3日、経済協力開発機構(OECD)が発表した2018年実施の学習到達度調査「PISA」で、日本の高校1年生の読解力の低下傾向が示されました。79の国・地域が参加した今回の調査で、日本の「読解力」は前回2015年の8位から15位へと下がりました。マスコミでは「読解力」のランキング低下ばかりが大きく取り上げられていますが、報告書を見ると「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」も前回調査から平均得点が下がった結果となりました。
これまでPISAの調査結果は、日本の教育政策に大きな影響を与えており、今回同様、「読解力」や「数学的リテラシー」の順位が目立って低下した2003年の調査結果は、原因と指摘された「ゆとり教育」を見直すきっかけとなりました。
今回のマニアックスでは、2020年度より実施される新たな学習指導要領を前に、改めて「ゆとり教育」について振り返ります。
ゆとり教育のはじまり
ゆとり教育が実施されることになる発端は、「現代化カリキュラム」への批判から始まります。「現代化カリキュラム」とは、1971年から1973年にかけて、小・中・高校の順で順次実施された学習指導要領に組まれた新たなカリキュラムです。当時、高度経済成長時代を迎えていた日本の重要課題は科学技術の発展で、それを支えるために学校教育の充実が求められました。それに対応すべく、例えば小学校の算数に「集合」の概念が取り入れられるなど、学習内容の現代化・高度化が進み、これまでの学習指導要領の中でも、最も授業量・学習量が多くなります。
しかし、学習内容の増加・過密化による「詰め込み教育」や、教科書を全部消化できない状況も生まれ、「落ちこぼれ」と呼ばれる勉強についていけない子どもの増加など、さまざまな問題が表れ、批判が起こりました。こうした流れを汲み、1980年から1982年にかけて、新たな学習指導要領が順次実施されることになります。初めて「ゆとり」という教育方針が登場、「教育内容の精選」という名目で内容の削減が行われました。
このころ、OECDやILO(国際労働委員会)から日本人の労働時間の短縮について、様々な要望が寄せられるようになり、政府は行政機関の土曜閉庁・公務員の週休2日制実施を打ち出します。公立学校も「週5日制」が求められることになり、1992年から月1回の「学校週5日制」が実施され、1995年には月2回になります。そして、2002年からは「週5日制の完全実施」に進んでいきます。こうなると、教員の定数を増やさずに授業時間数を確保することは不可能で、さらに教育内容を削減することになりました。
教育内容の削減は、1992年から1994年にかけてと、2002年から2004年にかけて順次実施された2回の学習指導要領改訂で行われ、前者の改訂では「新学力観」として、「知識・技能の習得」だけでなく、「関心・意欲・態度」を重視し、変化への対応力や問題解決能力の育成、後者では「基礎・基本の確実な習得」の上に、「生きる力」(いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力)の育成を目指しました。
要するに、生きる力があれば、学校であれもこれもと、様々なことを学ばなくても、不足する知識や技能は自ら学ぶことでカバーできる、という考え方です。この背景には、技術革新やコンピューターの発展で、学校で学んだことが社会に出て直接役に立つことが減ってきた(学校教育の中身が社会の変化のスピードに追い付かなくなってきた)ことや、特に後者の改訂ではインターネットの発達で、「細かい知識はいつでも調べられる」という社会が実現間近だ、という社会環境認識もあります。
ゆとり教育に対する批判
「生きる力」を育むことを目標として学習指導要領は改訂され、内容が削減された教科書が作られましたが、次第に批判されるものへとなっていきます。その原因は授業量・学習量の削減が学力低下に結び付くことへの危惧です。例えば、ある中学受験塾が行ったキャンペーンの「円周率が3になる」「台形の面積の求め方を教えなくなる」というキャンペーンがさまざまなメディアにより広く伝播し、専門家だけでなく、保護者からも批判が起こりました。
台形の面積の公式でいえば、「公式を知らなくても対角線で切断し、2つの三角形の面積の合計として考えればよい」「対角線で2つに切り分けるという工夫ができることが大切」という考え方に対して、「台形ぐらい、工夫など考えなくても公式でパッと求められることが大切、それが基礎学力だ」「工夫はもっと高度な問題で」といった声が強くなったわけです。「工夫を、という話だが、工夫を思いつかない子どもはどうなるの」という声もありました。(こうした意見に、当時の日本人の「学力観」や「勉強に対するイメージ」が強く表れていると感じるのは筆者だけではないでしょう)
これに応えるように、2003年12月に学習指導要領が一部改訂されます。それまでは「学習指導要領を超える内容を教えない」という学習内容の「上限基準」(はどめ規定)を示していましたが、上限基準の文言が削除され、学ぶ意欲があれば発展的な内容を教えることが可能になり、実質的に最低基準を示すものに変更されます。これにより、「学習指導要領を超えて教えても問題ない」という学力重視の方針に切り替わりました。翌2004年12月には、前述の2003年のPISAの調査結果が公表され、日本の順位の低下がメディアで大きく取り上げられたことも、学力重視の方針を後押しすることにつながり、「脱ゆとり教育」へと日本の教育方針が動き出すことになります。
ゆとり教育で見えてきた課題
「ゆとり教育批判」は学力低下への「危惧」から生まれたもので、2回の学習指導要領改訂による内容削減で、本当に子どもたちの学力がどれだけ低下したのか、その因果関係を示す直接的なデータはありません。「脱ゆとり教育」に転換してから十数年経っていて、小学校では円周率を3.14として習いますし、台形の面接の公式も小学校で習います。2020年から年次進行で新学習指導要領が実施されますが、この点は変化がありません。しかし、PISA2018の結果を見ると、読解力だけでなく、数学的リテラシーや科学的リテラシーも低下傾向です。やはり基本的な学力が低下傾向であることは間違いないでしょう。では、ゆとり教育による成果、課題は何だったのでしょうか。
まず、ゆとり教育の成果として挙げることができるのは、日本の教育全体における課題が再認識できたことでしょう。
勉強についていけない子どもが増加し、「小学校では7割、中学校では5割、高校では3割」という、子どもの授業の理解度を意味する「七五三」という言葉が生まれた詰め込み教育の時代。そんな状況を改善すべく始まったゆとり教育においても、勉強についていけない子どもは減ることはありませんでした。つまり、学習内容の総量の削減だけがこの問題の本質ではないことがわかったのです。このことに気づき、小・中・高校で到達度別の学習指導が行なわれたり、小・中学校での未消化の内容から学びなおす高校が生まれるなど、不十分の指摘はあるものの、勉強についていけない子どもたちへのフォローアップが進むようになりました。この点は、ゆとり教育の成果といえるかもしれません。
一方、ゆとり教育における課題としては、特に家庭など学校外での「新学力観や『生きる力』につながる学びの少なさ」が挙げられます。学校外の勉強時間の総量は、塾などがカバーしているケースも多くなっていますが、その目的が入試対策であれ、学校の補習であれ、基礎学力強化であれ、塾の性質上、どうしても知識・技能の習得に重点が置かれます。覚えた知識や技能を使い、与えられた課題をクリアするために情報を処理するドリル的な勉強になりがちです。ゆとり教育の本来の狙いは、知識や技能の習得を前提として、情報処理的な勉強にとどまらずに、さらに「自分の学びを自己決定する力」そして「生涯学び続けるモチベーション」を持つということでした。しかし、その本来の狙いを具現化するための体制や環境づくりは不十分でした。これこそがゆとり教育の改善すべき大きな課題だったといえるでしょう。
求められる力
バブル経済が崩壊してしばらくたった後も、日本社会には「良い学校に入れば良い会社に就職でき、あとは会社で指示されたことをやれば一生安泰」という風潮があり、メーカーが減ってインターネット企業が登場するようになったとはいえ、大学生の人気集先ランキングを見ると、こうした考え方は、今なお大学生の意識に根強く残っていると感じざるを得ません。しかし、現代社会では、かつてのような終身雇用や年功序列の制度は限界を迎えており、スキルもなくモチベーションも低く、受け身のままでは、たとえ「良い学校」を卒業したとしても、安定した人生を歩める保証はありません。
経済界や政府が求めているのは、社会の変化に対応できる力を備えた人材です。社会の変化に対応できる力とは、言い換えれば、主体的に考えて動くことができる「自主性」であり、自らの知識や技能、判断力など、企業現場を動かしていくために必要な力を常に更新していける人材です。ゆとり教育が目指していた「生きる力」ともいえます。
しかし、学習活動という点においては、「学び」を自ら考えて主体的に取り組むことと考えるよりも、「勉強」として「やらなければならないもの」「仕方なく」といったネガティブなイメージで捉えている人が多いのが現状です。それは子どもだけではなく大人にも同様のことがいえます。日本は、諸外国と比較すると、社会人が大学に戻って学び直す割合は著しく低い水準となっています。経済的な面や時間の確保など、さまざまな理由をつけることはできますが、やはり日本社会全体として「学び」への姿勢、意識が整っていないことも理由の一つとして挙げられるでしょう。
主体的に学ぶ力を伸ばす環境選び
「AIの発展」や「グローバル化」など、日ごとに環境が変化していく現代社会。現在小学生のお子さんが大人になる頃には、また今とは大きく違った社会になっていることでしょう。
「詰め込み教育」から「ゆとり教育」そして「脱ゆとり教育」と教育の環境も変化を続けていますが、根本的な学習活動の捉え方、主体的な「学び」ではなく、受け身の「勉強」と捉える姿勢が変わっていないことが課題といえます。今回PISAの調査結果によりわかった「読解力低下」の問題も、国語教育の内容をはじめ、さまざまな要因が考えられますが、根底には自ら学びに向かう姿勢が影響しているといえるでしょう。
これからの社会で生き生きと活躍するためには、「新しく得た知識を面白く感じて、より深くつっこんでみる」という姿勢が大事です。「やらされる」という受け身の意識ではなく、面白がって取り組むほうが身につくものです。
もちろん、好きなことだけやっていて、嫌いな教科は勉強しない、といった姿勢ではだめで、基礎基本の内容や教養、コミュニケーション技術など、学ばなければならないことはたくさんありますが、今はインターネットを使ってできることはたくさんあります。こうしたツールを利用すれば効率的に学習することもできて、浮いた時間で新しく得た知識を、さらに深く掘り下げてみることもできるでしょう。
中高の6年間という時間をどのような学びの環境で過ごすべきか、社会が一気には変わらないように、地域の小学校や中学校、標準的な公立高校といった公教育も、変革には時間がかかるはずです。変革を待つ、世間に対して先行はしない、というのも選択肢の1つですが、先行して積極的に、自ら考え、積極的に学びに向かう姿勢を育む環境を選ぶこともまた、保護者の選択肢の1つです。