上級者向け 受験マニアックス
2020年9月号 変わりゆく大学進学の意義と求められる人物像
大学の進学率が50%を超え、希望すればどこかの大学に入学できてしまう「大学全入時代」に突入した昨今、大学進学の意義も大きく変わりつつあります。今回の受験マニアックスでは、大学進学の意義について、また変わりゆく社会で求められる能力などをもとに考えます。
大学進学の意義が変わる
上の図は18歳人口と大学入学者数、進学率の推移を示したものです。赤枠で囲っているのが平成の30年間です。大学進学率は1990年代に入ると上昇を続け、2009年に50%に到達します。2015年まで50%前後が続きますが、その後は再び上がり、2019年には54%に達しました。内訳をみると、18歳の人口は1989年には約200万人、大学入学者数は約40万人。この数字が2019年になると、18歳の人口約120万人に対して、大学入学者数は約60万人となります。つまり、かつては4人に1人が大学に進学していましたが、平成の30年間で2人に1人が進学するまでになったということです。
2人に1人という水準をほかと比べてみましょう。家電を例に挙げれば、古くはカラーテレビやエアコン、最近ではスマートフォンなど、当初は珍しかった物が2世帯に1世帯、あるいは2人に1人という普及率になると、持っていることが当たり前となります。耐久消費材や家電製品と進学率を同列に比較することに抵抗感を感じられる方もいらっしゃると思いますが、大学への進学が「当たり前」となった今、改めて大学で学ぶことの意義が問われることになります。
大学は「ゴール」から「通過点」に
かつては18歳人口も多く、大学入試自体も厳しかったため、受験生は多くの労力をかけて受験に臨んでいました。そのため、大学に進学することが目的化しており、いわば大学入学が一種のゴールとなっていました。しかし、この30年で大学入学の捉え方が「ゴール」から、単なる一つの「通過点」へと変化したことにより、これからの大学の意義について、大きく分けて2つのことを考えていかなければなりません。
一つは、大学が通過点である以上、大学で何を学ぶのか、ということがとても重要になっていくということです。平成のはじめ頃の大学は、入学のハードルが高い分、実際に入学してからは積極的に勉強をしない学生が多い傾向がありました。きちんと出席して、提出物や試験をクリアすれば、比較的に卒業することも難しくなかったのです。実際に18歳人口が増加していた時期、好景気だった日本社会には、「良い大学に合格できれば、良い会社に就職できる」という風潮があり、学生側も勉強をしなくても先の社会が約束され、企業側も学生に勉強することを求めていませんでした。特に昭和の末期から平成の初期にかけてのバブル経済期には大学3年生の「実質内定」も数多く見られ、大手企業の中には内定学生を他社に逃がさないために、「研修」の名目でバカンスに連れていく「拘束旅行」も横行、大学の授業にも出られず、でも卒業させないわけにはいかないと、大学の教授たちを嘆かせる事態も起きました。
最近の大学生は以前よりも勉強するようになったかと思われますが、ボランティア活動などいろいろな経験を積んできた海外の大学生に比べると、日本の大学生は社会に出た時に明確なビジョンや仕事への興味など深く考えていない学生が多いと評されることもあるようです。
繰り返しになりますが、これからは「ゴール」ではなく社会への「通過点」として、大学で何を学ぶのかが大切になります。本来、大学において履修した科目から与えられる単位数は学習時間をもって定められており、4単位の科目を例に挙げると、講義の時間の3倍分を講義外で調査、研究や予習、復習等で自ら学ぶことが求められています。大学生の生活調査では、どの科目もこのように学んでいる学生はあまり多くないことが知られていますが、今後はこのように大学本来の考え方に沿って、講義内容の習得だけに留まらない自らの学びを実践していくことが必要となるでしょう。
もう一つは、2人に1人が大学進学することによって、大学のレベルの低下が起きるということです。昨今、世界の大学ランキングにおいて、日本の大学の多くが100位以内にも入っていないことが度々問題視されています。では、今の日本の学生に欠けているのは何か、大学で何を学ぶべきか、を考えたとき、今求められつつあるのが「先見性・主体性」「思考力・探究力」「英語をはじめとする語学力・グローバルな視野」「多様性(得意分野をのばす)」などです。この考え方は保護者の間でも広がりつつあり、お子さんの大学の前段階である学校選びにおいても、難関大学への進学率の高さが重視されていた従来の考え方から、「先見性・主体性」をはじめとする、これからの社会で必要とされる能力の土台を培うことのできる学校が選ばれるようになってきました。
これからの社会で求められる能力
それでは前述の「先見性・主体性」をはじめとする能力が、これからの社会(経済界・政府)で求められるようになった背景とは一体何なのでしょうか。それは現在も感染拡大が続いている新型コロナウイルス感染症のような未経験の事態への対応や、10年前の東日本大震災のような未曽有の事態への対応など、「想定外」の事態に対する日本、あるいは日本人の対応能力の脆弱さが露呈したことが背景にあるのかもしれません。もちろん、これは日本に限らず、諸外国でも同じことが起きている可能性はあります。
新型コロナウイルスに対して、テレビなどのメディアやインターネット、SNSなどではいろいろな情報が流され、中にはいい加減で無責任な情報や、専門家の意見がそれぞれ食い違うことへの批判的な意見も見られます。「想定外」の事態に不安を持つのは自然なことですが、「正解」を求めるあまり、情報の信頼性を確認せずに、混乱を引き起こしたり、心無い言動で他人を傷つける事例も見受けられました。
「想定外」ですから、さまざまな場で「いったいどうするの?」と言いたくなる課題が出てきました。大きな話でいえば政府や自治体の施策、あるいは企業の方針、身近な場面では、それぞれ職場や地域での課題、もっとも身近な家庭でも、あまり広くない住宅事情の中で両親ともテレワーク、子どもも休校やオンライン学習で在宅のため、家族間のトラブルが増えた、などといった話もありました。こうしたさまざまな課題を、それぞれの場で1つずつ状況に合わせて解決していくには、「複数の情報ソースから異なった意見や事例を集めること」、「現実を直視すること」、そして「冷静な判断で、できることから対応していくこと」が必要になります。おそらく正解はすぐには見つかりません。課題が解決して、後から振り返った時に「この時点ではこうしたやり方が必要だったのだ」と、正解への道筋が決まるのでしょう。しっかり判断したつもりでも結果的に失敗することもあるかもしれません。
誰しもが経験をしたことのない課題に対して、決断を他人に委ねて、ただ批判をしたり、失敗を恐れて何もしないのではなく、自ら判断し動いていく、場合によってはお互いが納得するまでしっかり話し合う、粘り強く前向きな姿勢を失わない、そのような考え方、行動が必要です。そして、そこで求められるのは「課題に対して失敗を恐れずに挑戦する人」「可能性を探る人」「心を開き、異なった意見でもしっかり受け止める人」「振り返りができる人」といった人物像でしょう。
「想定外」の事態に対応していく力を育むには
では、「想定外」の事態に対応していく力はどうやって育てていけばよいのでしょうか。現在30代、40代の人々へのアンケートから、部活や学校行事を通して判断力や行動力、粘り強さや前向きな姿勢、コミュニケーション力などを身につけたという声が多い、という調査結果があります。納得できる話で、大学生や社会人になってから伸びる部分はあるにしても、その土台は中高時代に培われるわけです。しかし、中高時代に部活や学校行事に一生懸命取り組めばこうした力が自然と身につくかといえば、必ずしもそうではないことはお分かりでしょう。そこで重要なのが「カリキュラム・マネジメント」という考え方です。
カリキュラム・マネジメントとは、授業だけではなく、部活や行事も含めた学校教育全体で上記の判断力や行動力、粘り強さや前向きな姿勢、コミュニケーション力などを育成していくために「自己肯定感」「想像力」「論理力」「自主性」などをいろいろな教育活動の相乗効果で養っていく取り組みです。具体的な取り組みとしては、例えば「持続可能な開発目標(SDGs)」(以下、SDGs)をテーマにした学びのように特定教科の枠にとらわれず、課題解決策に取り組む活動があります。
SDGsの掲げる目標のなかには「貧困の根絶」「飢えの根絶」「健康」「よい仕事と経済発展」「質の高い教育」など、今回の新型コロナウイルス感染症の流行以前から社会に課せられた課題があり、それぞれの課題は個別に切り離されているのではなく、繋がりを持っています。そして解決への正解がすでに示されているとは限らず、正解が抽象的にはわかっていても現実には実行できていない課題も少なくありません。こうした課題に自分で調べて判断し、自分なりの解決策を求めるだけでなく、グループで、学校全体で協働して解決策を求めていく活動を通して、生徒個人個人の判断力や行動力、粘り強さや前向きな姿勢、コミュニケーション力などを養っていくわけです。大人でも解決できない課題を中高生のレベルで解決策など考えられるものではない、という感想をお持ちかもしれませんが、解決策を編み出すことが直接の目的なのではなく、大学で高度な内容を学び、さらに自ら研究して、その成果を社会人になってから花開かせる、そのための学びの技法や社会課題に対する姿勢、解決策を生み出していくためのトレーニングを積むのが中高時代のこうした学びの目的です。
今回のコロナ禍は、ひょっとしたら日本、あるいは日本人の教育観を転換していく1つのきっかけになるかもしれません。中学や高校で、こうした課題に早い段階から取り組みながら、「想定外」の事態に対応できる力を育むことが今後の学習のスタンダードとして求められるでしょう。だからこそ、高校受験を間に挟まずに、じっくりと取り組むことができる中高一貫教育を選ぶという考え方もあります。皆さまにはこうした考えを持って、先を見据えた中身のある教育を重視した学校選びをしていただきたいと思います。