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私立中高進学通信

2025年9月号

卒業生が語る私の成長Story

日本大学豊山中学校

プールは、人間形成の場
水泳は多くの力を与えてくれました

K・Rさん

日本大学 法学部法律学科4年
K・Rさん

「感情に流されることなく、冷静に考えながら行動するように努めてきました」。
そう語るKさんの座右の銘が、フランスの哲学者パスカルの有名なこの言葉です。

 3歳から水泳を始めたKさんは、日本大学豊山の水泳部に所属。高3ではキャプテンを務め、インターハイで個人優勝を果たしています。教育実習で母校を訪れたKさんに、6年間の思い出や将来の目標について聞きました。

水泳がなくなった時
自分に何が残るのか

「兄と姉が水泳を習っていて、その影響を受け僕も3歳から始めました。小学生の頃からクラブチームで全国大会に出場し、小4の時に初めてメダルを取れたのですが、小6時の大会結果がふるわなくて……。そこで新しい環境で練習したいと思い、クラブチームを辞めて、兄も水泳部に入っていた日大豊山を受験しました」

 短期間で集中して受験勉強に励み、同校に合格したKさん。入学後は水泳部に入部し、練習に明け暮れた結果、学力が低下してしまったそうです。そんなKさんを叱ったのが、水泳部顧問であり、同校水泳部出身の安村亜洲先生でした。

「当時の僕は『水泳の成績さえ良ければそれでいい』と慢心していました。しかし、水泳をどれだけ長く続けても、ほとんどの選手は20代で引退を迎えます。安村先生は『水泳がなくなった時、Kには何が残るんだ?』と問いかけてくださったのです」

 猛省したKさんは勉強と部活動を両立させ、中3になると成績が学年で上位に入るようになりました

 一方、中3の全国中学校水泳競技大会でKさんは、男子400m個人メドレーで2位、男子200m個人メドレーで3位という結果になりました。「金メダルを取る」というKさんが掲げていた目標には届かず、それが中学時代、Kさんのコンプレックスになっていたと振り返ります。この壁をKさんはどう乗り越えたのでしょうか?

「最も大切な場面で勝てない自分を克服するために、練習に練習を重ねていきました」

ドイツで開催される国際大会に
この夏、日本代表として出場
「日大豊山は、成績優秀な生徒も、スポーツで結果を出している生徒も、趣味に熱中している生徒も、みんながお互いを尊重し合って、切磋琢磨できる学校です」「日大豊山は、成績優秀な生徒も、スポーツで結果を出している生徒も、趣味に熱中している生徒も、みんながお互いを尊重し合って、切磋琢磨できる学校です」

 同校には文武両道をめざす「スポーツコース」が高校から用意されています。

 このコースに進学したKさんは、学業で優秀な成績を収めつつ、水泳の練習にも力を注ぎました。そして、高3で水泳部のキャプテンを務め、8月のインターハイでは、ついに男子200mバタフライで個人優勝を果たしたのです。

 悲願を達成したKさんは、恩師の安村先生と同じく推薦制度によって日本大学法学部法律学科に進学し、大学でも水泳部に入部しました。そして、安村先生と同じ社会科の教員をめざすことになります。

「幼い頃から、兄や姉が泳ぐ様子を見たり、人に水泳を教えたりするのが好きだったので、水泳のコーチになることが夢でした。しかし、日大豊山に入学して安村先生や監督の指導に触れたことで、中学や高校で人間教育に努めながら、水泳の指導にあたることに憧れを抱くようになったんです」

 実はインターハイの結果に満足したKさんは、高校で水泳をやめようとしたといいます。その考えを変えたのが、恩師である安村先生の「インターハイで優勝した成功体験しか知らない指導者と、大学でも水泳を続け、そこで苦労や挫折を乗り越えてきた指導者では、部員に向けた言葉の重みが違うよ」という言葉でした。

 安村先生が予期していたように、Kさんは大学でも壁にぶつかりました。毎年、インカレ(※1)でメダルが取れずに3年間苦しんだのです。

 しかし、大学4年次にKさんの努力が実を結びます。2025年3月に行われた日本選手権(※2)で好成績を残し、7月にドイツで開催される「FISUワールドユニバーシティゲームス(※3)」 の日本代表に選ばれたのです。教育実習を終えた後、Kさんはドイツに旅立ちます。

 そんなKさんの座右の銘は、『人間は考える葦である』です。

「この言葉を胸に刻み、常に考えることを大切にしています。例えば、安村先生や監督から課題を与えられた時は、そこに込められた意図をしっかり考えるようにしていました。やみくもに練習するだけでは、成長できないと思ったからです」

※1 インカレ…日本学生選手権水泳競技大会

※2 日本選手権…日本選手権水泳競技大会

※3 FISUワールドユニバーシティゲームス…国際大学スポーツ連盟(FISU)が主催する、学生を対象にした、2年ごとに開催される国際総合競技大会

日大豊山の教員になって
水泳の指導にあたりたい

 Kさんは現在、大学院に進むことも検討しています。大学院では「専修免許状」という教員免許が取得できます。この免許は、教育現場で活かせる高度な専門知識やスキルを有しているという証になります。

「大学院に通いながら、母校の日大豊山で非常勤講師を務め、水泳部員の指導ができたらと思っています。いずれは専任教員になって、安村先生のように部の顧問になることが目標です」

 最後に「Kさんにとって水泳とは何か?」を聞いてみると、こんな答えが返ってきました。

「人間形成のためのスポーツです。僕は選手を引退して指導者になりますが、水泳は僕に挨拶や言葉遣いといった礼儀作法とともに、コミュニケーション能力、忍耐力、集中力、自己管理能力といった力を与えてくれました。これから社会に貢献していくうえで必要な能力を、全て与えてくれたのです。こうした素晴らしさを母校の後輩に伝えていきたいと思っています」

恩師からの応援メッセージ
どんな水泳部員の気持ちにも
寄り添える指導者になれるはず
安村先生と。持っているのは、旧校舎の時代から使われている水泳部の看板だそうです。安村先生と。持っているのは、旧校舎の時代から使われている水泳部の看板だそうです。

 私はKさんが入学してから高3で引退するまで、水泳部顧問として指導にあたりました。また、Kさんが中2と中3の時に担任も務めています。彼の泳ぎを初めて見た時から、オリンピックで活躍できるレベルの選手だと感じました。そんなKさんの財産は、大学時代に水泳で苦労を味わいながら、結果を出していったことです。水泳部の全員が、指導者から言われたことをこなせるわけではなく、うまくできない部員もいるのです。Kさんなら、こうした部員が抱えるもどかしい気持ちにも寄り添える指導者になれるはずです。(水泳部顧問/安村亜洲先生)

(この記事は『私立中高進学通信2025年9月号』に掲載しました。)

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