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私立中高進学通信

2022年12月号

校長先生はこんな人!

多摩大学目黒中学校

大学進学は目的ではない
中高の6年間は
将来につながる糧を見つける時間

田村 嘉浩 (たむら・よしひろ)理事長・校長先生
1961(昭和36)年、東京生まれ。東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に勤務。
貿易・地域振興・宇宙産業育成・特許行政・資源エネルギー政策・長崎県庁での地方勤務などを経験し、
2003年、在ロシア日本国大使館での海外勤務から帰国後、田村学園の常務理事として学校運営に携わる。
2004(平成16)年、多摩大学目黒中学・高等学校長に就任。2015年、田村学園理事長に就任。

中高一貫校で経験した
海外体験がもたらしたもの

 私も本校の生徒と同じように、中高一貫校で学んだ者の1人です。私が通ったのは、現在の筑波大学附属駒場中・高等学校。振り返ると好奇心旺盛だった私にとって中高6年間は、自由にやりたいこと、興味をもったことに挑戦する大切な時期だったと実感します。

 なかでも思い出深いのは、中2の夏休みに訪れたイギリスでのホームステイと、中3の夏休みにアメリカ・ミシガン州の大学寮に短期滞在して英語を学んだ経験です。さまざまな国の留学生と出会い、日本との違いを目の当たりにしました。イギリスは街中に自動販売機が見当たらず、日本と違って飲食店で冷たい飲み物は提供されませんし、逆にアメリカでは学生寮の食事はデザートまでが食べ放題で、物質的な豊かさが日本以上であることを知りました。

 さらにアメリカでは、一緒に英語の授業を受けていた南米の学生が、英文法テストの点数は我々より低くとも、会話が堪能であることに驚かされ、日本の英語教育との違いも考えさせられました。国が違えば、文化も人も教育へのアプローチも違う。昨今、文化の多様性やグローバルコミュニケーションの大切さが語られますが、若いうちに体験したからこそ、その重要性が私の心に残りました。

通商産業省勤務で得た
世界を意識した視野の広がり

 中学時代の留学体験は、東京大学を卒業して通商産業省(現・経済産業省)に勤めた私のその後にも影響を与えました。入省をめざした直接のきっかけは、通産省勤務の大学の先輩が、ほかのOBの誰よりも楽しそうに仕事に対する熱意を語ってくれたからです。通産省の仕事は多岐にわたります。私が思春期から抱いていた“世の中には自分の知らない世界はたくさんある、それをもっと知りたい”という大いなる好奇心を満たすには、この仕事が最適だと思いました。そう予想した通り、入省後は日本の産業、経済すべてにまつわるさまざまな仕事を経験しました。地域振興プロジェクトや市役所への地方勤務など国内での仕事はもちろんですが、貿易や国を代表して海外に出ていく仕事からも、多くのことを学びました。

 特に印象深かった仕事としては、日本と当時の西ドイツが協働して宇宙船の打ち上げに取り組んだ宇宙産業育成プロジェクトや、日本のエネルギー問題に取り組むため、1990年代前半にロシア、アメリカに滞在しながら携わった資源エネルギー政策プロジェクトなどもありました。地球の未来にかかわる宇宙開発やエネルギー問題には、確たる一つの解決策があるわけではありません。世界のすべての人が、同じ方向を向いて取り組むべき課題だと実感しました。

新興国の学生から学んだ
日本の中高教育がめざすもの

 30代から40代にかけては、アメリカ・スタンフォード大学アジア太平洋研究所とロシア・モスクワ国際関係大学へ留学したほか、約2年半に及ぶ在ロシア日本国大使館で海外勤務を担いました。これらの経験は、私が日本の中高教育に携わりたいと考えるようになった、大きなきっかけになりました。

 アメリカの大学には、世界の新興諸国から来た留学生がとても多いのですが、その誰もが優秀な大学で学ぶことが目的ではなく、知識を持ち帰って母国の発展に貢献しようとする高い志がありました。価値観が一変したペレストロイカ後のロシアの人々も同様です。学校での勉強も生活も、将来やりたいことを叶えるために行っているという目的意識があり、それを内なるエネルギーとしてイキイキと勉学に励んでいました。

 日本の社会や産業界は当時から停滞感に覆われています。だからこそ、日本にとって教育・人材育成が重要だと痛感した私は、縁あって本学園に転職。2004年には校長、2015年には理事長に就任して現在に至ります。

 本校では近年、大学連携プロジェクトへの参加や海外留学を希望する生徒がとても増えています。また、サッカーなどのクラブ活動を通じて自分の将来を見据え、仲間と励まし合いながら充実した学校生活を送り、人間的にも成長を遂げる生徒が多くいます。

 私は、本校の教育の使命は、社会人以降の目的意識をもって進路を自ら選び、大学進学後も燃え尽きることなく成長を続け、世界へと羽ばたく人物を育てることだと考えています。私自身も中学での海外経験が、その後の人生への道標となりました。本校の6年間で、失敗を恐れずに自分らしい好奇心を大切にしながら、心から楽しめること、やりたいことを生徒に見つけてもらいたいです。

[沿革]

 1937(昭和12)年、田村國雄校長により目黒商業女学校設立。その後、目黒女子商業学校、目黒学園女子商業高等学校と改称。1990(平成2)年には普通科を設置し、校名を目黒学園女子高等学校と改称。1994(平成6)年には目黒学園女子中学校を設置し、翌年、多摩大学目黒中学校・高等学校と校名を変更する。1996(平成8)年には中学を男女共学化し、1998年には高校を共学化。生徒と教員の強い信頼関係を大切に、学校生活のあらゆることに積極的に挑戦し、夢を実現する生徒を育成。

進学通信 2022年12月号
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