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私立中高進学通信

2022年7月号

校長先生はこんな人!

国士舘中学校

柔道を通して得た努力の大切さと
あきらめない心を、生徒の個性に目を配り
見守る教育へと昇華

岩渕 公一 (いわぶち・こういち)校長先生
1955(昭和30)年、岩手県出身。国士舘大学体育学部を卒業。1979年に国士舘中高の常勤講師として入職。1980年、同校の保健体育教諭に。1988年から柔道部監督となり高校柔道部を何度も全国優勝へと導き、オリンピックほか世界大会で活躍する名選手を多数輩出。2016(平成28)年に副校長、2019年から校長に就任。柔道八段。

岩渕 公一 (いわぶち・こういち)校長先生
1955(昭和30)年、岩手県出身。国士舘大学体育学部を卒業。1979年に国士舘中高の常勤講師として入職。
1980年、同校の保健体育教諭に。1988年から柔道部監督となり高校柔道部を何度も全国優勝へと導き、
オリンピックほか世界大会で活躍する名選手を多数輩出。2016(平成28)年に副校長、2019年から校長に就任。柔道八段。

柔道との出会いが
教員になるきっかけに

 私が少年時代を過ごしたのは岩手県で、宮城県との県境の小さな町でした。実家は農業を営んでおり、豊かな自然のなかでのびのびと育ちました。私は小さい頃から身体が大きく、中学入学をきっかけに周囲からの勧めもあり柔道部に入部します。そこから柔道の面白さを知り、自分の努力次第で力をつけていけるスポーツの喜びと、礼に始まり礼に終わる柔道の奥深さにどんどんのめり込んでいきました。

 私が進学した地元の岩手県立藤沢高校の柔道部は、けっして強くはありませんでしたが、指導者のお力もあり、在学中に県大会のベスト8に入るほどの活躍ができるようになりました。進学については、家業を継ぐか大学に進むかで相当悩みましたが、努力することでより高みをめざせるという目標を授けてくれた柔道をどうしても続けたかった。そこで柔道にまい進でき、かつ学費の負担が少ない大学はどこかを必死に調べ、国士舘大学への進学を決めました。

 今の私があるのも、多感な十代の頃、一心不乱に熱中できる柔道との出会いがあったからこそです。若い皆さんにもぜひ、中高時代に打ち込めるものを見つけて、人生を豊かにしてもらいたいと心から思います。

つらさを乗り越えられた
忘れられない恩師の言葉

 全国の強豪スポーツ選手が何百人と集まっていた国士舘大学での日々は、人間としての成長に大きな役割を果たしてくれました。練習はもちろん先輩・後輩の規律も非常に厳しい環境だったため、志半ばにして柔道を辞めてしまう者もけっして少なくありません。私の実力は同級生のなかでも下から数えたほうが早いくらいでしたが、懸命に練習を重ねることで、上級生になる頃には団体戦に出場できるほどになりました。

 私は特別な才能に恵まれた選手ではありませんでした。それでもなぜ、ひたすら柔道を頑張れたのか。それは指導者である恩師の言葉が心の支えになり、“絶対に物事を途中で辞めない”覚悟ができたからです。なかでも印象深いのは、大学柔道部の監督の言葉です。当時の柔道部には120名ほど選手がおり、下級生が監督と直接話ができる機会は週に1度あれば良いほうでした。そんななかでも監督は練習の様子に目を配り、「君はとても一生懸命にやっている。まだまだだけれどそのまま努力すれば選手になれるかもしれない。だから頑張りなさい」と声をかけてくれたのです。

 大学卒業後、紆余曲折ありながらも本校の保健体育教員となり、柔道部の指導者として年月を重ねてきました。私が教員、柔道指導者をめざしたのも、私を育ててくれた柔道に恩返しがしたかったからです。教え子一人ひとりの個性に目を配って良さを伸ばす言葉をかけ、しっかりと信頼関係を築いていく。目標にくじけそうになっている者には、あの時の監督のように「あきらめなければ、夢は叶う」と励ましていく。ただその難しさは、自分が教員となって痛切に実感しました。難しくもあり、同時に私が教育者として最も大切にしていることでもあります。

 私は生徒が食事をしている姿を、気づかれないよう背後から見るようにしています。元気にご飯を食べているうちは大丈夫です。しかし口に運ぶ箸が重く見えるようなら、活力が失われている証拠です。悩みごとを抱えているのかもしれません。担任時代も出欠の声のトーンに変化がないかどうかの観察を欠かしませんでした。

困った人に手を差し伸べる
思いやりの心を育みたい

 本校の教育は、道徳心や正義感、思いやりの心を育成する『心学』と、物事をさまざまな方向から捉えて自ら動くことのできる力を育む『活学』の両立を大切にしています。最近は、教員や友達の前では必要以上に“良い子”であろうとする生徒が増えているように思えます。だからこそ普段からコミュニケーションを欠かさないようにして、彼らの内にある悩みや本心を察することのできる大人の力が必要です。

 見守られ、安心して成長するなかで、さらには生徒自身も困っている者に気づき、温かく手を差し伸べられる人に育ってもらいたいのです。そのための努力を忘れず、広い視野をもった人へと、本校を通じて育っていってほしいと願っています。

 私の一番の望みは、生徒が卒業する時に「6年間いろいろあったけれど本当に楽しかった」と言ってもらうことなのです。これからも生徒と同じ目線で本校らしい教育を続けていきたいと思います。

[沿革]
 1917(大正6)年、創始者の柴田德次郎が当時の東京・麻布に私塾「国士舘義塾」を設立。1918年に松陰神社に隣接する世田谷の地に校舎を移し、同年に国士舘中等部を設立。1994(平成6)年には世田谷区若林に新校舎を竣工、男子校から男女共学校となり、2017年には学園創立100周年を迎えた。1958(昭和33)年創設の国士舘大学に隣接し、大学施設も積極的に利用している。

進学通信 2022年7月号
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