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私立中高進学通信

2024年4月号特集

創立100周年以上の伝統校

跡見学園中学校

誇り高き「跡見の紫」と
「桜の御印」が紡ぐ伝統

「御師匠さん」と呼ばれた創立者/跡見花蹊御師匠おっしょさん」と呼ばれた創立者/跡見花蹊

 跡見学園の創始者である跡見花蹊が、キリスト教の学校以外では日本初となる女子教育を目的とした学校を設立したのは、明治維新から間もない1875年のことでした。華族や上流階級の子女80余名が集う学び舎のカリキュラムは、国語、漢文、算術、習字、絵画、裁縫、琴曲、点茶、挿花の9科目で構成されていました。当時の教育としては珍しく芸術科目に重きがおかれていたところに、わが道を行く花蹊の独自性を見ることができます。

 跡見学校の寄宿舎は「お塾」と呼ばれ、年長の生徒が同室の年少者の世話をするのが特徴でした。その伝統は年上の生徒が年下の生徒の面倒をみる「あね・いもと(姉妹)の校風」として継承されています。また、寄宿舎では就寝前の「運動踊」がルーティーンでした。これは花蹊自身が考案した体操で、当時の文部省の関係者が視察に訪れたとのエピソードも残っています。現代風に“安眠のためのストレッチ”と解釈すると、興味深いものがあります。

 跡見学校のもう一つの特徴が制服の紫袴でした。昭憲皇太后(明治天皇のお后)の内意に基づき、華美に流される傾向にあった当時の女学生の様相を憂えた花蹊自身が制定したものです。この紫は花蹊によって「活海老」色と命名されましたが、これは伊勢エビの背の深みのある紫色に因むものです。一般の女学生の多くが海老茶色の袴を着用するなか、センセーショナルな「跡見の紫」は、次第に若者たちの憧れの的になっていきました。伝統の紫袴は時を経て紫紺のリボンへと進化し、令和の街を行く生徒たちの胸に息づいています。

 皇室にて書画を教授する「御前揮毫」の栄誉を賜り、御所の女官たちに漢詩や書画を指導する機会も多かった花蹊にはもう一つ、昭憲皇太后から賜った素敵な贈り物がありました。それが「桜の御印」です。桜は花蹊の“花”を意味する特別なワードでもあります。1930年、洋装の制服が制定された折、2代目校長・跡見李子によって、この桜が校章に採用されました。以来、桜の校章は跡見学園のシンボルになっています。

沿革
1858年(安政5年) 跡見花蹊、大阪にて私塾を開く
1875年 神田猿楽町に「跡見学校」開校
1885年 英語教育開始。小石川柳町の新校舎
落成式ならびに新築記念祝賀式
1915年 女学校として初となる和装の制服制定
1919年 跡見李子二代目校長就任
1926年 跡見花蹊逝去
1930年 洋装制服制定
1932年 大塚新校舎(現文京区大塚)移転
1945年 東京大空襲により校舎のほとんどが焼失
1947年 学制改革により「跡見学園中等部」設立
1948年 「跡見学園高等学校」設置認可。跡見学園中等部を「跡見学園中学校」に改称
1965年 高2生の関西修学旅行で、新幹線利用第1号として話題になる
1990年 中学校高等学校新校舎竣工
2016年 制服を現行のものに改定
日本古来の伝統文化を大事にした花蹊の心を現代に継承する
「跡見流リベラルアーツ」

 跡見花蹊のこだわりの一つが、日本古来の伝統文化を大事にすることでした。その流れは、現在の「放課後プログラム」に継承されています。同プログラムには、①伝統文化系、②学習系、➂語学系の3つの分野があり、特に伝統文化系を構成する「茶道」(裏千家)、「華道」(古流)、「箏曲」(山田流)の3つは、創立者の心に触れる貴重な時間として人気があります。

 一方、伝統文化を守りながらも、新しいことに挑戦する姿勢も跡見学園らしさです。「跡見流リベラルアーツ」もその一つで、「ごきげんよう」(※)の挨拶に始まり、身だしなみや立ち居振る舞い、礼節を身につけ、跡見流書道、作法などを学びながら、ソーシャルスキルを磨き、多様な価値観をもつ人々と協働する力を育んでいきます。また、道徳の時間には、クリティカルシンキングや哲学対話の手法を採り入れながら、ワークに取り組んでいきます。

 創立以来の伝統に触れながら、基本の型を身につけ、そのうえで型を破る術を獲得することもまた、都内最古の女子校の一つである跡見学園で学ぶことの奥深さと言えそうです。

※跡見花蹊が皇族・華族の子女を教育していたことから、宮中で行われていた挨拶が自然と校内に広まり定着したもの。

1875年、日本人による初めての私立女子校として誕生(写真は開校当時の校舎正面)。1875年、日本人による初めての私立女子校として誕生(写真は開校当時の校舎正面)。
日本庭園に面した21畳の和室で行われている箏曲(山田流)の様子。日本庭園に面した21畳の和室で行われている箏曲(山田流)の様子。
学園創立150周年記念事業の一環として
2025年、生徒のためのオープンスペースが誕生!
明るく快適なスペースが自慢(完成予想図)。明るく快適なスペースが自慢(完成予想図)。

 2025年に創立150周年を迎える跡見学園。学園創立150周年記念事業の一環として、2024年度から、中高生が多目的に使用できるオープンスペースの建設が始まります。オープンスペースには、生徒や教職員が、面談、自習、休憩などで使うことができるスペースがふんだんに設けられる予定です。跡見学園の建物としては珍しい曲線を帯びた新しいランドマークの誕生に、乞うご期待!

今も昔も変わらない“本物に触れる”喜び
学校の外に飛び出すルーツも花蹊にあった
1912年の大宮公園遠足の様子。右列先頭に創立者・跡見花蹊の姿も。1912年の大宮公園遠足の様子。右列先頭に創立者・跡見花蹊の姿も。

 古典芸能鑑賞(国語)、裁判傍聴(社会科)、葛西臨海水族園訪問(理科)、テーブルマナー(家庭)、音楽鑑賞会(音楽)など、教科を通して“本物に触れる”機会が多彩なのも跡見学園の魅力。サイエンス探究教室(中1・中2)やSDGs探究旅行(中3)など、“本物に触れる”宿泊行事も充実しています。実はこの流れの源も花蹊にあり。花蹊はよく生徒を連れ出しては、春の摘み草、花見、紅葉見物などを楽しんでいたのです。“本物に触れる”原点がここに!

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