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進学通信

2025年7月

教育問答
良心が導く多様性と変化の教育で
芯ある「しなやかさ」を育て続ける

公開日2025/9/1
同志社香里中学校・高等学校
校長 瀧 英次 先生

1962年生まれ、大阪府出身。同志社香里中高から同志社大学文学部へ進学し、大学卒業後は母校へ入職と歩んできた生粋の同志社ファミリーの一員。2016年度より校長に就任。「仕事が趣味」と言うほど教職に強い思いを抱いている。
座右の銘は「継続は力なり」で、変化を恐れず不退転の信念で学校を導く。

名門・同志社の一角として、揺るぎない伝統を築いてきた同志社香里。しかし、瀧英次校長は「変化を恐れない学校づくり」を力強く説きます。「不易流行」、同校にとってそれは何なのか。何を守り、何を変えていくのか。
卒業生でもあり、生徒・教員それぞれの目線でその変化を見つめてきた瀧校長の経験から、思いを語っていただきました。

変化の激しい時代に、変わるもの、変わらないもの

貴校が重視する教育観をお聞かせください。

 私たち大人が変化を恐れないことです。教育とは端的に言えば「人を育てる」ことですが、一方で、時間のかかる営みでもあります。
 しかし、技術革新や社会の変化のスピード、コロナウイルスの大流行に見られたように、現代社会は予測不可能な時代に突入したと言われ、価値観も多様化してきました。それゆえに、従前のように知識を詰め込むだけの教育では、もはや人は育ちません。やはり、そうした変化の波にしなやかに対応できる人を育てたい。だとすれば、まずは私たちが変化を受け入れ、教育の中身を変えていく意志を持たねばなりません。私たちが変わることで、教育もより良く変化・進化していくはずだと考えています。

貴校のような伝統校にとって、「変わる」ことは、ある意味で怖さもあるのではないですか?

 もちろんそれはあるでしょう。だからこそ、「変化に挑む学校」というよりは「拠り所となる学校」を目指す信念が大切だと思います。
 私は本校の卒業生なのですが、中学1年生として入学したのが、ちょうど50年前です。先ほど申し上げたように、当時は知識量重視が教育の主流でしたし、そういう意味では大きく変わった部分もあるのですが、私が生徒だった頃と変わらず揺るがない部分があるんですよ。それが「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」という三本柱に基づく建学の精神です。

 今年、同志社は創立150周年という節目の年を迎えましたが、校祖・新島襄が掲げたこれらの精神は今も決して変わりません。つまり目指す教育、育てたい人物像は変えず、手法や体制として時流や次世代を見すえた変化を取り入れていく姿勢が大切だと思うのです。今年が創立150周年で、私が入学したのが100周年の年。そこに不思議な縁を感じますし、この50年の変化も、変わらないものも、生徒として、そして教員としてもずっと見てきました。だからこそ、さらなる変化や進化を目指していくことには重い責任があると感じているところです。

貴校の「変化」という意味で近年最も大きかったのは、2000年に男子校から共学校になったことだと思いますが、これについてはどうお考えですか?

 確かにそれは、大きな転換期でしょうね。そのときは教員として在校していますが、やはり変化や挑戦には痛みやリスクが伴うものです。
 しかし、そこで踏み出す勇気が持てたのは、決して変わらない柱があるという自負と、変化の先に目指す明確なビジョンを持っていたからだと思います。今後も時代を見すえてさまざまな変化を取り入れていく必要があると思いますが、その矜持や覚悟は常に抱いていたいです。「柱」と「ビジョン」――これを明確にすることが、変化に向き合ううえで私たちが最も重視する要素です。

「良心教育」を心の礎に、卒業後もつながり続ける絆

瀧校長は、なぜ教員を目指されたのですか?

 やはり、母校である本校が大好きだったというのがあります。同時に、子どもを育てるというのは非常に尊いことですし、自分自身がこの学校で学んできたこと、経験してきたことを後輩たちに伝えていきたいという思いがありました。
 その思いをさらに強くしたのが、教育実習のときのことです。未熟な私を、授業をしやすいように生徒たちが助けてくれたのをよく覚えています。実はそのときの生徒の一人が、現在の本校の同窓会長でもあるんです。今でも同窓会などで「あのときはこうだったね」などと思い出話に花を咲かせることが多いです。こうしたつながりや“循環”のようなものがあることが私学の良さですし、特に本校は同窓の仲間意識が非常に強いと思います。

そのようなご経験があるからこそ、一人の教員として大切にしたいこととは何でしょう。

 先ほどの「変わるもの、変わらないもの」という話とも共通するのですが、同志社は「良心教育」を変わらず大切にしています。これは「良心ある人の育成を目指す」という、同志社が同志社である原点とも核心とも言える部分です。したがって、私もそれをいかに維持し、かつ同時に展開していくかを意識しています。

 本校における“良心”とは、キリスト教主義に基づいた価値観です。その価値観に根差す教育を実践しているのであって、信仰そのものを強要するのではありません。しかし、週2回の「ショート礼拝」や週1時間の「ロング礼拝」、「聖書の時間」などが設けられています。そこで、思いやりや優しさであったり、“良心”に対する考え方を育むのです。中高6年間で、生徒たちにそれがしっかり根付いていると感じます。
 そしてそれが、先述した同窓の仲間意識の強さにもつながっていますね。卒業して社会に出てからも、お互い助け合おうという気風があります。たとえばコロナ禍では、校内での感染防止対策に必要な物資を、卒業生たちが次々と届けてくれました。さまざまな業種
の、しかもその第一線で活躍している卒業生も多いので、何かあれば必ず誰かが協力してくれるネットワークがありますね。

どれだけ能力を高めようとも、そこに「心」が通わなければ

現在の教育界全体を見渡して、感じられる問題意識などはありますか?

 それこそまさに、生徒自身がいかに問題意識を持てるか、そしていかにそれを解決して自分のものにできるか、そのような教育を生徒たちに届けられるかだと思います。
 もちろん知識の習得そのものを否定はしませんが、やはり、教育そのものが知識量重視からより多様なものへ変わってきていますよね。確かな知識・教養に加えて、問題発見・解決能力や、コミュニケーション力、リーダーシップなどの、いわゆる非認知系の力が大切だと言われるようになりました。 
 しかし、いくらスキルとしてのコミュニケーション力が高くても、そこに心が通っていなければ、人間同士の真のつながりは生まれません。そこが一番大切で、そうした「人間力」を育むことを重視していきたいです。

それは、「生身」の教育だからこそ実践できる、貴校にとっても「変わらない」部分だと言えそうですね。

 はい。そこに「学校という器で学ぶ意義」の一環があると感じます。コロナ禍で登校ができなくなったとき、特にそれを痛感しました。教科学習そのものはオンラインで対応できても、本校が大事にする人間力の育成という面では、生徒同士、生徒と教員が物理的に離れているのは、決して良い環境とは言えなかったと思います。

 また、「変わらない」という意味では、今ほど主流になる以前から、本校はプロジェクト学習や生徒が主体になる探究型学習に力を入れてきました。
 ユニークな点で言うなら、遠足は現地集合・現地解散ですしね。かつて九州を巡っていた修学旅行も「道中の見学地や経路などは自分たちで調べて、宿まで自力で来なさい」というスタンスでした。現在の修学旅行先はハワイですが、今でも現地チェックポイントを設けて、生徒が自分たちで計画的に回るようにしています。そこで育まれる力に、どれだけ「人間力」育成のエッセンスを高めていけるかが重要なのです。

 私が特に日頃から口にしているのが「しなやかな人間力」を育てるということです。「しなやかさ」という言葉からは、ある種の優柔不断さのようなイメージを受けることもありますが、私たちの考える「しなやかさ」とはそういう意味ではありません。自分のなかに一本の芯はしっかり通しつつも、時代の変化に柔軟に対応できるという意味です。まさにこれも、本校が目指す「変わらないもの、変えていくべきもの」と同じ概念であると言えるでしょう。

そのような「しなやかさ」は、どうすれば身につくと思われますか?

 もちろん短絡的な答えはなく、多様な学びや経験が相乗効果を発揮しながら身についていくものだとは思いますが、「しなやかさ」を真に発揮するためには、土台となる基礎学力はやはり必要になってきます。
 本校は高校を卒業した生徒のほとんどが同志社大学に進学しますが、「学内推薦があるから勉強しなくても大丈夫」などと思ってはいませんし、もちろん生徒にも思わせません。入試も、大学進学もそうですが、そこが目的地ではないのです。

 この人生100年時代において先を見すえたとき、生徒たちには、自分がやりたいことを見つけられる中高生活を送ってほしいですし、そしてそのやりたいことを実現するためには、学力が必要です。だからこそ、中高6年間で確かな学力をつけることと、同時にそれを行使できる思考力や行動力も養っていくことが大事です。かつ、本校らしい
良心教育やつながりの強さを通して「しなやかな人間力」を培っていく――そのような構造で全体の教育を構築しています。

まずは生徒の姿を見てほしい

教員と生徒の距離の近さも貴校の特徴だと聞きます。

 なれなれしいとか、友だち感覚のような関係ではなく、教員と生徒としての一線は守られていますから、「心の距離」が近いとでも言えばよいでしょうか。私はその関係性について、よく「心に寄り添う教育」という表現をしています。具体例で示せと言われると少し難しいのですが、生徒たちの多様性は確実に安心・安全が担保されていると言えますね。いろいろな強みや弱み、価値観を持つ子どもたちがいるなかで、誰もそれを否定されることのない「居場所のある学校」でありたいです。

 もちろん私たち教員も人間ですから、生徒の考え方に触れて、ちょっとそれはどうなのだろう? と思うことはあります。これまでは、それを矯正する方向に持ってくのが教育だったと思いますが、現在はそうではなく、まずは「この生徒はそういう考え方を持っているんだ」と認めること。そこに寄り添いながら、必要であれば指導をしていくスタンスですね。

それもまた、学校という器、その中でも貴校という場を選んで学ぶことの意義だと言えそうですね。

 本校のこの環境について、校祖・新島襄はこのような言葉で表現しているそうです。「大きな池の中に、大きな魚も小さな魚もいて、食い合いしないで共存できる学校」と。なぜ共存できるかと言えば、個性を認め合っているから。そして、そこからはみ出す魚を有無を言わさず池に投げ戻すのではなく、“枠”の概念とその大切さを説く。その中で個性を認め合っているから共存できているんだよと教えるわけです。現代は“魚”も多種多様になりましたが、それぞれの自主性を私たちも生徒たち自身も大切にしています。

今後どのような学校づくりをしていきたいとお考えですか?

 私学だからというのもありますがやはり「選ばれる学校」にならなければ、と思っています。選ばれるためには、入口・中身・出口、すべてが整っていなくてはいけません。だからこそ時流に敏感になって、変化を恐れないようにしていきたいです。

 受験生や保護者の方には、とにかく一度学校に足を運んでいただきたいです。説明会や広告物は、良いことしか言いませんから( 笑)。まずは学校に来て、生徒たちの姿を見てください。そこに本校の教育のすべてが体現されています。自分がそのようになりたいか、自分のお子さんにそうなってほしいか、それを重ね合わせて学校を見てほしいですね。