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進学通信

2024年7月

The Voice 校長インタビュー
学力と人間力の“二兎”を追い
「それだけではない大谷」であり続ける

公開日2024/8/31

乾 文雄 校長先生

P r o f i l e

1964年、滋賀県生まれ。関西外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。日本語教員を務めた後、大谷大学・大学院で仏教を学び、1999年、大谷中学・高等学校に宗教科教諭として赴任。後に英語科も担当し、高校の『バタビアコース・グローバルクラス』の立ち上げに携わった。2024年4月より現職。実家の真宗大谷派寺院住職も務めている。趣味は温泉めぐり。

「自分を見つめる」宗教の授業

 本校の理念「樹心~人となる~」の体現において重要なものに、宗教の授業が挙げられます。宗教を通して、自分を見つめ、向き合い、理解していきます。
 中1で扱うテーマに、「合掌」があります。右手は清浄の手、左手は不浄の手とされ、これは、人には清らかな部分と汚れた部分があるということを表します。合掌は、「その両面を一つにして、目の前の人に出会っていきます」というあいさつなのです。
 ところが人間関係においては、無意識に良い部分ばかりを見せて優越感を得ようとしがちです。すなわち、左手を隠し、右手だけを見せようとします。自分を偽ってでも、いい人、できる人を演じてしまう。つまり“合掌できていない”ことが多いのです。これを無理して演じ続けるのは疲れますし、何より、見たくない自分に向き合わなければ本質は見えてきません。
 授業ではこのような話をした後に、自分の嫌なところを言い合うグループワークを行います。上も下もない対等な関係性があることを知ってほしいですね。それが一番心地良いのですから。つい嘘をついてしまっても、そのことをわかっていればいいのです。ですから叱るのではなく、「そういうこともあるよね。でもなるべく嘘はつかないようにしよう」と、声をかけたいですね。

 真に強い人とは、自分の弱さを知っている人です。至らなさを知っているからこそ、それも認めて自己肯定ができるのです。「これが好き」「あれが嫌い」で終わらせずに、それはなぜなのかと考え続けることが大事です。中高時代に、自分がどのような人間で、どのように物事に取り組むのか、という客観的な視点を持って行動し、その結果として将来、本当にやりたいことに力を尽くすことができれば素晴らしいですよね。

 仏教は“戒め”と“励まし”のハイブリッド。常に「本当にそれでいいのか?」と自分に問いかけ、間違ってしまった自分には「よく間違いに気づいたね」と励ましの言葉が届けば、してはいけないことをする前に止まることができるでしょう。何かをあきらめそうになったときも「もう少し頑張ろう」と思えるかもしれません。

 教育は種蒔きです。作家の司馬遼太郎氏のエッセイに、それを実感させるエピソードがあります。彼が中学生のとき、『平家物語』で「凡夫」という言葉が出てきました。すると、先生が「では凡夫とは誰のことか」を問いかけたそうです。そして「凡夫=つまらない人」とは「我々皆のことだよ」と先生が語ると、生徒たちは「えっ、先生もなの?」と驚いた。そのことを、晩年になっても鮮明に覚えていると綴られていました。

 私は今も中1の宗教の授業を担当しています。その場では理解できなくても、将来、何かのきっかけで、「ヒゲの校長が言っていたのは、こういうことだったのか」と思い出すことが一つでもあれば本望ですね。「教育」とは、共に育つ「共育」、互いに尊敬し合いながら育つ「敬育」、生涯を通して心に残る言葉や気付きが得られる「驚育」とも表せるというのが持論です。今後もこれらを実践していきたいと思います。

「外の広さ」「内の深さ」に出会う学びを

 2024年5月から、本校のことを知っていただくことを目的に、学校長ブログ『文雄のふみ』をスタートしました。第1回に記したのは、大谷の生徒たちは勉強も行事も、部活動も頑張っているけれど、本校は「それだけではない学校」だというメッセージ。その根底には、社会に出るまでに「幅広く学んでほしい」という思いがあります。

 私がそう強く願うようになったきっかけは、かつて本校のすぐそばに居を構えておられた世界的仏教学者、鈴木大拙氏の言葉との出会いです。禅を世界に向けて発信し、かのスティーブ・ジョブスにも影響をもたらしたという鈴木氏は、80歳を超えてから、「外は広い、内は深い」という言葉を残されています。80歳を超えてもなお、世の中や自分の中に知らないことがあるのだという感動を、そう表現されたのです。
 “学ぶ”とはそのように、「外の広さ」「内の深さ」を、身を持って知り、自分の知らなかった自分を発見していくような、内発的な動機からくるものだと思います。知識やスキルを得るだけではなく、むしろ、その前の自分を揺さぶるような学びです。そのきっかけは一人ひとり異なりますが、本校でしか学べないことがあるという自信があります。

 また本校には、“戒め”と“励まし”のハイブリッドである仏教をはじめ、教育のあらゆる場面で醸成される、独特の空気感があります。それはたとえば、間違ったことをしても、それに気づいて内省できたなら、また一緒にやっていこうと言えるような仲間づくり。あるいは、上でも下でもない関係性。そうした環境のもと安心して、多くのことを吸収し、自分の世界を広げてほしいですね。

学力と人間力を備えた、広やかで大らかな人物を育てるために

 本校は「学力」と「人間力」の二兎を追う学校です。幅広く学び、評定平均値では測れない価値を高めていくために、生徒たちには「急いで専門家になろうとしないでいいよ」と言い続けていきたいと思います。
 目標を持つことは大事です。ただし、目先の損得や結果、あるいは自分の価値観だけで、学びの幅を狭めないでほしいのです。「この本、面白いよ」とすすめられたら手に取ってみてほしいですし、教員が必要だと言ったことは、受け入れて取り組んでみてほしい。他者の気持ちや多様な考え方を受けとめることも、できるようになってほしいですね。また教員には、たとえば、数学が得意という理由だけで理系に進もうとしている生徒がいたら、「もう少し考えてみよう」と声をかけてほしいですし、思うような結果が得られず悩んでいる生徒がいれば、前に進めるように、導いてほしいと思います。

 育てたいのは、広やかで大らかな人物。それがかなう、生徒一人ひとりとていねいに向き合う学校であり続けるべく、生徒に、教員に語りかけ力を尽くすことが、私の使命だと考えています。