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進学通信

2022年9月

この記事は1年以上前の記事です。

教育問答
リベラルアーツの本質を問い
これまでの学校の「普通」を超えていく教育を創る

「大学合格実績は?」「取得できる資格は?」 など、私たちはともすれば、教育に目先の成果ばかりを求めがちです。しかし、教育はそれほど単純なものではありません。教育の本懐とは一体、何なのでしょうか。同志社中学校・高等学校の竹山幸男副校長をお迎えし、いま一度、その原点を問い直します。

副校長 竹山 幸男先生
同志社大学法学部卒業。
1992年度より社会科教諭として同志社中学校に勤務。
2010年度に同志社中学校・高等学校副校長に就任。

公開日2022/10/31
リベラルアーツの本質である自らを自由にする学びを

厳しい校則もなく、制服もない。「自由」な校風で知られる貴校ですが、なぜ「自由」が大切にされてきたのか、その背景からお聞かせください。

 まず、本校の教育における「自由」の意味について考えてみます。確かに制服がないことは、目に見える「自由」の一つですが、それは本質ではありません。真に大切なことは、そうした物理的制約の有無ではなく、「考え方や思考が自由」であること。「創造力や発想力は、何事からも自由で自立した個々人の頭脳や心から生まれる」。主体的に創造的に考え、決断し、解決できる力を持って自らを自由たらしめる学び――リベラルアーツ教育の伝統が、本校の教育の本流にあるからです。
 狭義のリベラルアーツは「一般教養」と訳されることも多いですが、単に知識の習得を指すものではありません。人が精神的に自由であるために身につけるべき人生の指針、そして今後さまざまな分野や場面で応用できる広範囲で深い教養と、それを支える素養の育成こそ中等教育におけるリベラルアーツです。創立者・新島襄先生が掲げた“自由・自治・自立”の精神も、まさにそれらを備えた人物の育成に根ざしたものでした。
 余談ですが、新島先生は海外の大学で学位を取得した最初の日本人であると言われています。言い換えれば、わが国の「グローバル人材」第1号であり、リベラルアーツの体現者であったのかもしれません。

その理念に基づいて、現在の中等教育全般に対して感じることや、懸念することなどはありますか?

 諸外国に比べ、日本には同じような学校が多いなと感じます。教科学習か特別教育活動(クラブを含む)の二選択という感じで。その先の大学進学についても、「入試を突破する力」に重点を置きすぎているきらいがあります。
 もちろん、それらも大切ではあるのですが、「学び」の本質は本当にそれだけのものなのかと思うのです。「学ぶ」ということはもっと豊かで、そして深く、広く、あらゆる可能性と未来を生み育てるものではないかと。
 そして何より中等教育期は、そういう土壌を「耕す」時期です。しかし、現在のわが国の教育的価値観は、あまりにも拙速に学びを完結させて、表面的な結果を求めすぎているように見えます。「これを学べば将来役立つ」とか、「この成績だとどこの大学に行けるのか」という具合に。
 海外の進んだ教育事情を知るにつけ、そのような結果を求める学びだけでは不十分であると皆が気づき始めています。だからこそ中等教育ではもっと可能性を広げていく学びを大事にしていかなくてはなりません。「これを学べばすぐにこうなる」ではなく、寄り道や少し無駄を感じるような「余白」がある学びや経験がこれからの時代ますます大切になってきます。それが、リベラルアーツ教育の精神ともつながります。

「学校」とは?
その存在意義を改めて問い直す

そのようなリベラルアーツ教育の実現のために、大事にされていることは何ですか?

 先ほど「日本は同じような学校が多い」と申しましたが、どれだけ「普通の学校」という枠を超えられるかを考えています。かつて新島先生が学んだアメリカの大学は、リベラルアーツカレッジの最高峰と称された学び舎(アマースト・カレッジ)です。そこで新島先生が見てきたもの、受けた衝撃を現代の子どもたちにも届けたい。そのような思いを抱いています。
 もちろんそれは、何か変わったことをして目立てばよいという意味ではありません。もう一度、改めて学校の存在意義を問うかのような学校づくりをしたいですね。

「普通の学校」を超えているところを具体的に挙げるとすれば?

 いくつかありますが、キャンパス、校舎の空間構成は特徴の一つでしょう。多くの学校は「限られた敷地に校舎と校庭があるだけ」であって、真のキャンパス(学びの空間)にはなっていないように感じるのです。
「空間が人を育て、建築が学校をつくる」。比叡山を望む地で、緑の木々に囲まれたレンガ建ての校舎は、まさに私たちの夢が実現したものです。キャンパスに入った途端、日本の学校とは思えない別世界に足を踏み入れた感覚となり、誰もがこのキャンパスに憧れを抱きます。コロネード(回廊)やヤード(中庭)も点在して、アカデミックな大学や伝統ある街並みを感じさせるようなキャンパスです。また、本校では、全国的にもめずらしく、近畿の私立中学では本校のみという「教科センター方式」に基づいて教室をレイアウトしています。これは、教科ごとにエリアを設定し、そこに教科専門の教室を置く配置のこと。つまり授業ごとに生徒が教室を移動する方式で、教員が待つ教室に生徒がやってくる国際標準のスタイルとしました。
 各エリアは、教科ごとの学びを行いやすいように設備・環境を整備し、すべての教科エリアに教室と隣接した「メディアスペース」と「教科教員室」を配置しました。「メディアスペース」は、教科関連の資料や書籍、生徒が作った作品や発表物などが並んでおり、自由に使えるワークスペースも設置。疑問に思ったことをすぐに調べることができ、発展的・探究的な学びにつなげることができる空間です。また、「教科教員室」を置くことで、授業を担当する教員はもちろん、それ以外の教員にも質問できるようになっています。教員同士の研鑽や情報交換もしやすくなりました。
 一方で、「ホームベース」には一人ひとりのロッカーが置かれ、日々のクラス活動や友だち同士のコミュニケーションなども活発に行われています。学園祭でのクラス別演劇は50年以上の伝統があります。
 生徒が主体的に学び、「教室だけでなく、校舎やキャンパス全体が学びの場」、生徒と教員が共に学び合う「学びのオープンスペース」になることを目指しました。
 そもそも学校の建物、もっと言えば学校という「器」はなぜ必要なのでしょうか。今の時代、インターネットとパソコンさえあれば、いつでもどこでも学べます。極論すれば、学校に行かなくても知識や情報の習得はできるのに、それでも学校へ通う意味とは何か、ということです。これについて私は「相互に学び合えること」、「さまざまな出会いと経験の場」だと考えています。
 繰り返しになりますが、現代の学校はあまりにも機能性や合理性を重視しすぎている気がします。日本社会が、そういう学校を「作ってしまった」と言えるかもしれません。しかし、学校は「人を育てる場」です。だからこそ、「学び舎」となるような人にやさしい環境、そして仲間を大切にしたいですね。
 本校には、チャイムがありませんので、移動の際も、自分でタイムマネジメントして動く必要があります。「学びを自分で創り上げ、自ら学びに向かう」という考え方です。学びにおける「自由」とは、そういうことともつながっています。

世界・社会とつながった
シームレスな学び

授業やカリキュラム上では、どのような特徴が挙げられますか?

 中学・高校を通じて、コースや理系・文系の区別がないことでしょう。大学での学びを考える時に、幅広い学びの機会や経験、「本物」との出会いがある方が伸びしろが大きくなると言われています。
『同志社中学校(以下、同中) 学びプロジェクト』は本校らしさの一つですね。一般的には高校生が取り組むような内容も含めて、中学生が学べるようなしくみにしています。できるだけ早い時期に、知的好奇心・探究心を刺激してあげたいからです。
 そのラインナップも実に豊富で個性的です。たとえば「京大ips細胞研究所でDNA抽出」「東大スーパーカミオカンデでニュートリノ検出実験見学」といった最先端技術に触れるものから、「企業と一緒にアプリ開発」「ドローン操縦でVR高所作業」などの企業連携、ほかにも「プロジェクションマッピング制作」「地質調査」「地域活性化」「文化継承」、あるいは「陶芸」「シルクスクリーン」などのアート系まで多種多様。内容は毎年異なりますが、年間400に及ぶプロジェクトが用意されており、生徒たちはその中から自分が興味のあるものを選んで参加します。一人でいくつものプロジェクトに参加する生徒もいますし、近年は『同中 学びプロジェクト』に参加したいから本校に入学したという生徒も増えてきました。
 これとは別に、夏休みなどの長期休暇中には「自由研究」「自主製作」に取り組む伝統があります。『同中 学びプロジェクト』ではあらかじめ設定されたテーマの中から選びますが、こちらのテーマ設定は完全に自由。自分が知りたいことや、やってみたいこと、作ってみたいものに打ち込み、3年生は全員がポスターセッションの形で成果を発表します。
 生徒から出てくるテーマはやはり斬新かつユニークです。たとえば自由研究では色彩をテーマに「企業のロゴマーク」を分析したもの、人間が目視できる限界距離をテーマに「水平線・地平線までの距離」を検証したもの、自主製作では「バリ島のオリジナルガイドブック」「高性能オーディオアンプ」から、果ては「食べた鳥骨による骨格標本」まで「なぜそれを選んだの?」と思わず唸ってしまうものばかり。しかしそれこそ、子どもたちが本来持っている学ぶ意欲の芽であり、リベラルアーツの原点なのです。
 本校のように幅広い学びができる環境があることは、ここにもよい影響があると感じます。システマチックに最適化された、換言すれば「お膳立てされた」環境の中だけで学んできた子どもたちは、いざこうした探究的な学びでテーマ設定をしようとしたとき、自分の中から「なぜ?」が出てきにくいようです。「自由に選んでいいよ」「好きなことを調べてごらん」と言っても、何をやればよいのかわからない。「問いを立てられない」のです。学校としても毎年、新入生一人ひとりの皆さんと「テーマ探し」のための面談を行い、サポートをしています。

「学力」を再定義し
真に生きる力を育みたい

自分で考え、学びに向かう姿勢が大切なのですね。

 ガードナーの多重知能理論によると、「知能」は8つの要素に分けられるとしています。しかし、これまでの中等教育は、このうち「論理・数学的知能」と「言語・語学知能」を中心に“学力”を捉えてきた傾向があります。本当は、「対人的知能」、「博物学的知能」、「視覚・空間的知能」、「内省的知能」、さらに「身体・運動感覚知能」「音楽・リズム知能」のすべてが、人間が成長するために欠かせない要素です。
 戦後の高度経済成長期など、与えられた仕事を疑うことなく、そしてソツなくこなす力が重視された当時の社会構造では、それでよかったのかもしれません。しかし時代は変わりました。何が正解なのかわからず、前例もなく、その状況の中で解決策を見つけ出す力が必要です。「Education2030」やSDGsなどの影響を受けて、日本の学習指導要領、大学入試の変革も進められてきました。
 一人ひとりの多様な幸せ(Well-being)、主体的に考え行動していく姿勢(Agency)を育む「学習者主体」の教育は、まさに、創立者・新島襄先生がめざしたキリスト教主義教育とも合致します。新島先生の教育理念の先進性、漸進性が、今輝いていると言えます。

校内にはまるで博物館のようなスペースも設けられ、はく製や全身骨格、標本などが所狭しと並ぶ。

フィールドワークや研究室の訪問など、本物の学びに触れ、好奇心を刺激する『同中 学びプロジェクト』。