藤田 晃之(ふじた てるゆき)
昭和38年茨城県生まれ。筑波大学人間系教授。大学院人間総合科学研究科教育学専攻長。専門は、進路指導・キャリア教育の比較研究および教員養成制度研究。文部科学省 国立教育政策研究所での職務経験も持ち、教育関連の国の政策や法令にも精通している。著書多数。
保護者の時代とは違う
キャリア教育の今
キャリア教育はどのようなものですか。なぜ必要なのでしょうか。
小学生のお子さんを持つ保護者の方がイメージする「キャリア教育」は、ご自身がかつて体験した「職場体験」ではないでしょうか。当時のキャリア教育は、ニート・フリーター対策を背景としたものでした。職業に就き、納税する国民を育てる、限られた意味でのキャリア教育でした。
それから2011年に中央教育審議会において方針転換が示され、職業観や勤労観も含めながら、もっと幅広く「生きていくうえで果たす役割」の視点からキャリア教育がとらえられるようになりました。仕事をすることは生きていくうえで重要な役割ですが、家族の一員や地域社会の一員としての役割を果たす力をつけることも、キャリア教育ととらえられるようになったのです。たとえば、自分の住んでいる地域の課題にも向き合い、仮に災害にあったとしたら、その翌日だけでも休みを取って近所の復旧作業にも携わろうとする。このようなことも重要だとしたわけです。
夢を広げることから
現実的な進路決定へ
キャリア教育は現在、学習指導要領にも記載されているのですね。
学習指導要領には、小学校から高校までキャリア教育を行うことが明記されています。キャリア教育は、子どもの実態や地域特性などに合わせて、社会の中で自分の役割を果たしながら自分らしい生き方を実現していく過程、つまり「キャリア発達」に応じて進めていくことが求められています。
高校生のキャリア発達は、自分の進むべき現実的な道を見定めて、それに対する準備をしていくものです。法律の勉強を頑張りたい、医療関係の道に進みたいなど、ある程度の方向性を見定めて、社会に巣立つ準備をしていきます。
中学生は現実的な探索をしますが「暫定的」な選択にとどまります。その方向に進むかどうかわかりませんし、変更してもいい。ただし、大人に近づく年代なので、暫定的にキャリア決定をしてみようと考えます。中学生の職場体験なら複数の体験先から自分の希望で体験先を「暫定的」に選択するわけです。これから進路が変わることを前提としていても、選択して真剣にその仕事について学びます。
小学生は選択に向かうための「基盤形成」を大事にします。小学生の夢がとても現実離れしたものであったとしても、まずは夢を持つことを大切にします。
たとえば「人気歌手グループの一員になりたい」という夢があったとしたら「どうして、そうなりたいの?」と問いかけます。すると「音楽が好きだから」と答えたとします。それに「音楽に関わる仕事は、そのグループに入ることだけ?」と問いかければ、プロデューサーという別の仕事に気がつくかもしれません。あるいは、他のジャンルの音楽への興味・関心が生まれるかもしれません。このように夢を起点として興味や関心を広げていこうとするのが、小学生のキャリア教育です。
小学校で「夢を広げる」、中学で「暫定的に選択する」、高校で「リアルに焦点化する」。これがキャリア発達の段階と言えるのです。
近年のキャリア教育の動向
1999年 | 中央教育審議会答申にて、公的文書で初めて「キャリア教育」という言葉が使用される(「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」) |
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2005年~ | 「キャリア・スタート・ウィーク」で中学校での5日間以上の職場体験が全国展開 |
2008年1月 | 中央教育審議会答申にて、小・中・高におけるキャリア教育の概要が提示(「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」) |
2009年4月 | 高等学校の学習指導要領に「キャリア教育」の言葉を使用して、その推進を図ることを明示 |
2011年1月 | 中央教育審議会答申にて、「キャリア発達」が提示(「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」) |
2017年4月 | 小学校・中学校・高等学校の学習指導要領に「キャリア教育」という言葉で、その充実を図ることが明示 |
2020年4月 | 「キャリア・パスポート」(※)開始 |
- キャリア・パスポート:「旅券」という意味を超えて、学びの履歴を積み重ねていくことにより、学習履歴の振り返りや、これからの学びの予定を考え、積み重ねていくことを支援する仕組み。キャリア発達に応じてキャリア教育を継続・蓄積し、計画的に振り返る機会を設けていくために2020年度に開始された。
小学校・中学校・高等学校におけるキャリア発達
小学生 |
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進路の探索・選択にかかる基盤形成の時期
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中学生 |
現実的探索と暫定的選択の時期
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高校生 |
現実的探索・試行と社会的移行準備の時期
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- 出所:文部科学省(2006年)
年の離れたロールモデルがいる私立中高一貫校は
キャリア教育に適した環境
6カ年一貫ならではの
私学のキャリア教育
私立中高一貫校は、6年間という長い期間をかけてキャリア教育を展開できることが利点ですね。
そうですね。6年間をかけて体系的なキャリア教育を実施できるのは、私立中高一貫校の特色でしょう。
まず、中学生だけではない年の離れたロールモデルが身近にいます。中学1年生なら5つ年上の高校3年生をロールモデルとして、将来ビジョンを考えられるのです。逆に高校3年生にとっては、下級生の姿から中高での自分の成長を振り返ることができます。
中学生と高校生を比べれば、体育祭では体力が違いますし、合唱祭では子どもの声から大人の声の響きに変わっていきます。文化祭にしても高校生の表現するお化け屋敷と、中学生のそれとではクオリティが違います。学校生活のあらゆる場面でロールモデルがそばにあることが、互いの成長につながるのです。
また私立の場合、教員の異動が少ないので生徒の成長をたどりながら、教員が生徒をサポートしやすいこともメリットです。キャリア教育にかかわる活動を振り返り、自己評価ができる「キャリア・パスポート」の運用も効果的にできます。公立の場合、中学校と高校とでは設置者が異なることがほとんどですので、生徒一人ひとりの個性・教育情報の受け渡しがスムーズにいかない可能性があります。中高一貫校であれば、学校でキャリア・パスポートを保管していけば、学年が上がってもクラス替えがあっても、受け渡しがスムーズにできます。
そして私立のキャリア教育は、バリエーションが豊富にあることも魅力ですね。礼儀作法、日本の伝統文化に軸足を置くものから、STEAM教育に焦点を置くもの、国際理解教育を軸に考えるものなど実に多彩です。
キャリア教育と、進路指導の違いは何でしょうか。
進路指導の理念は今のキャリア教育とほぼ同じです。ただし、高度経済成長期における学歴社会の幸せを追求した結果、進路指導が「少しでも偏差値の高い学校への合格支援」に焦点をあて、生徒の進学先を偏差値による輪切りで振り分けてしまう実態が全国的に多くみられたのです。
しかし、保護者の皆さんは、これまでの進路指導が揺らいでいることを実感していると思います。日本型雇用では職務の専門性は会社に入ってから企業内教育で付与するのが一般的でした。どのような職務についても対応できる「地頭の良さ」を、学歴から判断していたのです。それがバブル経済崩壊後、大きく変化しました。企業内教育を継続するところもあれば、専門職採用に大きく舵を切った企業もあります。学歴エリートが幸せであるという価値観が揺らぎつつありながらも、「学歴はあったほうがよい」という考え方もまた根強くあることが、学校選びにおける悩ましい点かもしれません。
保護者にできる
キャリア教育は
家庭でできるキャリア教育には、どのようなものがありますか。
中学校受験をする場合でも、しない場合でも、発達段階から見て11・12歳の時期に、進路を絞り込むことは簡単ではないはずです。時期に応じて、状況に合わせて何らかの選択を繰り返していく必要があるわけです。
そこで大切になってくるのが親子のコミュニケーションです。保護者自身がどのようなビジョンで世界をとらえているのか、幸せをとらえているのかが問われます。「この学校に行きなさい」ではなく、「お父さんお母さんは、こんな風に社会の変化をとらえているよ。だから、この学校を勧めたいと思うんだけれども、あなたはどう思う?」などのように、丁寧な対話が必要です。
一人の人間として
わが子と対話する
その時に気を付けてほしいのが、子どもを一人の人間として見ることです。小学生は、暫定的なキャリア選択を経ていない時期です。本人自身の希望だと思われていたその進路を選んだ動機は、小さい頃から保護者が呪文のように言い聞かせてきたことを反映しているだけかもしれません。その呪文を解いて向き合うことが大切です。
また、日本社会にある性別による職業・仕事の差、社会における性別役割の意識についても考えをめぐらせ、相対化しておくことも求められます。大学や企業におけるジェンダーバランスの不均衡は大きく、研究者は女性が少ない現実があります。男子校や女子校を選ぶ際にも「男子だから、女子だから」ということだけにとらわれるのではなく、その学校の教育に期待していることをよく話し合ってください。
中学受験を目指す子どもは、中学生になってからする選択を、前倒しして決定しなければいけません。大人のほうが呪文を解き、鎧兜を脱いで、一人の人間として対話することが、より良い志望校選びにつながるでしょう。
お勧めはドライブと
保護者の職場見学
具体的にはどのようなコミュニケーションをとればいいでしょうか。
小学生らしい夢は、大切にしてほしいと思います。「現実離れしたことを」と、潰す必要はありません。「お父さんお母さんは、こういうことも心配しているよ」と、会話を始める糸口にもなるためです。
こうした会話がスムーズに進まない場合、お互いの位置関係に工夫を加えてみてください。正面ではなく、90度の位置になるように座って話すと話しやすくなります。真正面で視線を合わせて話すと、子どもはプレッシャーを感じるものです。「お父さんもここに来て、一緒に聞いて!」などと言おうものなら、なおさら思っていることが話せるはずがありません。
そこで一案としてお勧めしたいのが、ドライブの同乗中に話すことです。目的地まで視線を同じ方向に向けていられますし、沈黙があっても景色やラジオが流れているので、追い詰められた雰囲気にならずにすむのです。子どもも緊張しにくく、話ができる絶好のチャンスになるでしょう。
もう一つお勧めしているのは、小学4・5年生のうちに、お父さんやお母さんの職場に連れていくことです。上司に許可を得て「休日の職場見学」を設定してみてください。いつもと同じ朝の出勤時間、通勤ルートで職場に出かけ、普段どんな風に仕事をしているかを話してあげてください。可能であれば社員食堂やいつもの定食屋で、一緒にランチを食べてみましょう。
親が会社勤めをしている場合、子どもは自分の親がどのように働いているかを知らないものです。職場見学をすることで、自分の親を違う視点から見る機会にもなります。「こういう職場で働いているからこそ、お父さんお母さんはああいう話をしたんだな」と感じ取ることができます。
中学受験とは「わが子を少し早めに大人扱いすること」です。自分とは別の人格を持つ人間として向き合い、子どもよりも長く生きてきた人生の先輩として、後輩に何を伝えるか。そうした姿勢で取り組むことが、家庭でできるキャリア教育になると思います。