花咲徳栄高等学校で高校生活を送り、大学進学を経て「教員」として母校に戻ってきた卒業生教員がいます。そんな先生方は今、思い出の「花咲徳栄」をどう見ているのでしょうか。キャリア13年目の塚本裕紀先生(理科)、同9年目の佐々木建先生(地理歴史・公民科)、同1年目の高橋美波先生(保健体育科)にお話を伺いました。
花咲徳栄高等学校で高校生活を送り、大学進学を経て「教員」として母校に戻ってきた卒業生教員がいます。そんな先生方は今、思い出の「花咲徳栄」をどう見ているのでしょうか。キャリア13年目の塚本裕紀先生(理科)、同9年目の佐々木建先生(地理歴史・公民科)、同1年目の高橋美波先生(保健体育科)にお話を伺いました。
高橋美波先生高橋先生幼い頃から極真空手を習っていました。そんな私がさまざまな競技を経験するなかで、特に魅力を感じたのがボクシングです。実はボクシングを初めて体験したのが花咲徳栄の道場で、中学時代も週に何回かは花咲徳栄の道場で練習させてもらっていました。以来、「ボクシング」と「花咲徳栄」は、私のなかで完全に生活の一部となり、高校受験を考える際には、花咲徳栄が第一志望になっていました。
佐々木先生当初は公立高校が第一志望で、花咲徳栄は併願で受験しました。最終的に花咲徳栄を選んだ理由は、体育館が2つあり、週7で部活動ができるという充実した環境に惹かれ大好きなバスケットボールを本気で続けたかったからです。
塚本先生私も第一志望は公立高校でしたが、さいたまスーパーアリーナで開催されていた私学の個別相談会に参加した際、「ぜひうちで一緒に頑張らないか」と、花咲徳栄の先生に誘われました。私はそこに不思議な縁を感じました。なぜなら高校から心機一転、勉強に全力で取り組もうと決めていたからです。ちなみに、当時は「アルファコース」の2期生募集というタイミングにあり、その環境に身を置いて3年間、勉強に打ち込もうという気持ちになったのを今でもよく覚えています。
高橋先生私は「アルファコース」の文理選抜クラス(文系)に在籍し、部活動はボクシング部に所属していました。クラスメートの多くが部活動と勉強の両立に励んでおり、賑やかで楽しいクラスでした。当時のクラスは女子が少し多かったですね。それでも男女の仲は良く、部活動の大会ではお互いに応援したり、勉強面でも教え合ったりと、切磋琢磨した3年間を過ごしました。
佐々木建先生佐々木先生正直に言うと、1年生の時はテスト前しか勉強していませんでしたが、2年生のクラスでは日頃から勉強に力を入れているクラスメートが一気に増えて、勉強に対する意識の高さを感じました。部活動に加入している生徒も多く、「部活動か」「勉強か」ではなく、双方にこだわっているクラスメートが多かったように思います。私もバスケットボールに全力で取り組みながら勉強する習慣が身についていたので、自分が身を置く環境の大切さを痛感していました。
塚本先生先生方の工夫で勉強へのモチベーションも上がり、「部活動で頑張っている生徒がいるなら、自分たちは勉強で頑張ろう!」とクラスの何人かで団結しました。そこから徐々に、クラス全体に勉強する空気が醸成されていった気がします。なかでも特に私たち5〜6人のグループは、いつも夜8時まで教室に残って勉強していました。改めて振り返ってみると、勉強することにプライドをかけているクラスだったと思います。
高橋先生ボクシング部での練習は本当にきつかったです。厳しく指導してくださった監督なので、ボクシングに打ち込む3年間を送ることができました。私も塚本先生と同じ「アルファコース」出身。監督は勉強面でも応援してくださり、文武両道を全うできたで3年間でした。
佐々木先生一番は、人間力が培われたことです。顧問の先生がバスケットボールを通して礼儀や挨拶を重んじる方で、「好きなバスケットをやるために、人としても成長しなければならない」ということを、その先生から徹底して学びました。当時は「面倒くさいな」という気持ちもありましたが、大学生や社会人になった際、高校で学んだことを普通にやっているだけで褒められることがあり、卒業してからその大切さに気づかされました。
塚本裕紀先生塚本先生私は部活動に所属していませんでしたが、花咲徳栄には運動部を中心に全国レベルで活躍する生徒が大勢いるので、“自分は勉強で頑張る”という想いが強くあったと思います。文武両道が当たり前の校風が、自分らしさを発揮することにつながっていったのだと思っています。
塚本先生学校行事では体育祭ですね。進学色の強いクラスではありましたが、行事にも全力で 取り組む仲間が多かったです。保健体育類型のクラスに挑むようにリレーで盛り上がるなど、楽しむべき時はしっかり楽しむ空気がありました。もっとも、3年生になれば行事から受験勉強への切り換えも早かったですが。
佐々木先生学校行事の思い出なら、私も塚本先生と同じ体育祭です。1年生の時に障害物リレーで入賞したことが印象に残っています。先生との一番の思い出なら、高2の時の担任の先生(英語科)です。私は英語が苦手でその先生に相談すると、「次の日の朝、提出しなさい」と毎日プリントをくださるんです。約1年間、そんなルーティーンを続けていたら、高2の3学期には英語の偏差値が驚異的に向上していました。部活動が終わるまで待ってくれてそれから教えてくれることもあり、その先生の姿を通して、「自分もこうやって生徒のために何かしてあげたい」と思うようになり、教員を志望するようになりました。
高橋先生高2の2月くらいからコロナの影響のなか、進学への取り組み、学校行事、ボクシングの大会も徐々にできなくなっていきました。ふと気づくと、成績も落ち込んでいましたね。コロナ禍で通学もままならないなか、担任の先生から「このままだとまずい」という電話をいただくようになり、事実、第一志望は自己推薦型入試で受けたのですが、書類で一次落ちしてしまうという挫折も経験しています。ただ、そこから先生方のサポートが強力で、昼休みや放課後を使って熱心に受験指導をしてくださり、結果として予備校などに頼ることなく、再度挑戦した第一志望への現役合格を勝ち取りました。そうした経験から、「こんな素敵な先生がいる花咲徳栄で働きたい」と思うようになり、教員になりました。
塚本先生私の場合、幼い頃から教員になろうと決めていました。ところが高1の三者面談で担任から「君は教師には向いていない」と(笑)。そんなふうに言われて大学時代はずっと研究者になろうと思っていました。そうした中、大きなターニングポイントになったのが、花咲徳栄での教育実習でした。実習が2週間目に入った頃、担当したクラスの生徒からたまたま「塚本先生の授業はわかりやすくて楽しい」という声が聞こえてきたのです。そこからですね。「今度は正式な教員として花咲徳栄の教壇に立ちたい」と強く思うようになりました。
佐々木先生私は今、花咲徳栄の男子バスケットボール部の監督を務めているのですが、実は高校時代の選手生活は不完全燃焼でした。そこで大学でもう一度、レギュラーに挑戦しながら教員になるための勉強もしようと決意しました。結果としてレギュラーになれませんでしたが、大学でも副キャプテンを務め、主力選手から控えの選手たちともコミュニケーションがとれたことは私の財産です。誰もがレギュラーになれるわけではなく、特にそれは辛い日々と感じることもありますが、それでも頑張り続ければ、必ず得るものがあることを生徒たちに伝えています。
高橋先生元来のスポーツ人間、そして人に何かを教えることも好きなので、スポーツ指導者として保健体育科の教員になったのは私のなかで必然でした。ただ、目標に向けて絶対に欠かしてはならない基本の重要性を徹底して教えてくださったのは、花咲徳栄の先生方です。部活動が終わった後も大学入試対策(大学入試対策センター)に行き、1~2時間勉強してから下校するルーティーンが身についたのも、「基本をないがしろにしてはいけない」との戒めがあったからです。
塚本先生継続力です。中学までは自由奔放でしたが、高校からは「勉強をやるぞ!」と決めて、3年間継続して頑張りました。
佐々木先生やり抜く力ですね。勉強もバスケットボールも、やり抜いたからこそ今があるからです。
高橋先生挑戦することの大切さです。ボクシングに取り組むなかで、何度も壁にぶつかり挫折を感じることもありましたが、諦めずに努力し続けたことで、高2の時に全日本チャンピオンになることができました。諦めなければ夢は叶うことを実感した瞬間でした。
塚本先生花咲徳栄は部活動でも勉強でも、やりたいことを徹底的にやれる学校です。
佐々木先生「勉強も部活動も頑張りたい!」という強い想いがあるなら、それが実現できる環境の花咲徳栄は最高の学校です。
高橋先生自分の目標に向かって頑張りたいという想いを応援し、サポートしてくださる先生や仲間たちがたくさんいる学校です。
教員としてのキャリアも豊富な塚本先生。教育実習時の生徒の“意外な言葉”に今も感謝をしているそうです。
生徒たちと接する日々が楽しいと語る佐々木先生。自身の青春が詰まった教室は、今も当時のままでした。
高橋先生の思い出の場所はボクシングの道場。高校受験の際、花咲徳栄を選んだ大きなきっかけにもなった高橋先生の原点です。
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