大学とキャンパスを同じくする明治学院高等学校では、伝統と歴史が息づいています。3人の卒業生が母校の魅力を語ってくれました。
大学とキャンパスを同じくする明治学院高等学校では、伝統と歴史が息づいています。3人の卒業生が母校の魅力を語ってくれました。
Kさん(2020年3月卒業)キリスト教教育を基盤とした情操教育の視点から、母が私に勧めたのが明治学院でした。サッカー部のマネージャーとして3年間、練習に、遠征に、そして試合にと最後まで活動を続けました。自由を謳歌する明学生のイメージとはちょっと異なる、サッカー部独自の“部則”にもこだわり、朝練にも午後練にも全力を傾けました。最終学年では全国高校サッカー選手権東京都予選の最終予選まで勝ち進んだことが私たちの代の自慢です。
生徒会では統制委員長を務める一方、受験生向けの説明会に臨み、自分たちの明学をアピールするのもやりがいでした。2年生の時には、高校の選択授業の一つ『企業経済』を受講しました。現役の経営者を前にプレゼンする機会を得た私は、経営トップを支える力になりたいと感じ、この瞬間こそが現在の私の仕事と深く関わる経営学との出会いとなりました。“誰かのために”と自ら積極的に行動を起こすさまは、どこかサッカー部のマネージャーの役割とも共通する気がしています。サッカーと生徒会と学業。これら3つを並行させることは容易ではありませんでしたが、すべてをやり抜いてS推薦を勝ち取り、明治学院大学に進むことができたのは、いずれはプロのサッカーチームで働きたいという夢があったからです。
大学では経営学を専攻し3年次に必要な単位数をすべて修了し、明学大の「飛び入学」制度を活用して大学院に進みました。Jリーグの入場者数の研究が私の専門です。学外の学生団体で積み重ねた貴重な経験もフル活用し、現在は日本女子プロサッカーリーグ強豪の女子サッカーチームで、大好きなサッカーと関わっています。
Nさん(2022年3月卒業)兄の影響でアメリカンフットボール部のある高校を探していた時、自由な校風も魅力的な明治学院と出会いました。高1の終わり頃からコロナ禍に入るイレギュラーな時期もありましたが、学校に行く機会が減った分、思いっきりオリーブ祭を楽しもうと皆で動画を作成したのも思い出です。個性的な仲間が集まる学び舎はいつも刺激的でおもしろく、その中で“やらされる自分”でいるよりも、“やり切る自分”でいるからこそ求められる責任感の大きさにも気づくことができました。何かと制限のあるコロナ禍では、時には無観客で寂しい大会もありましたが、それでも関東大会出場を目標に皆で励み、結果として関東の高校でオールスター50名の中に選ばれる選手になれたのも、まさに明学の高校生活に漂う“責任ある自由”の賜物といっても過言ではありません。
そんな私が大学入試で活用したのは、法政大学独自のスポーツ推薦入試『SSI』(スポーツ・サイエンス・インスティチュート)でした。結果的にはアメフトの先輩でもある兄と同じ進路を歩むことを希望しました。当時定期テストの3週間前からアメフト仲間で教室に集まり、集中して勉強していた日々も合格の後押しになったと思います。大学4年になった今も、大学アメリカンフットボール日本一を決める甲子園ボウルをめざして練習に励んでいます。強豪ひしめく関西の大学を倒すことが最大の目標です。
一方、エンタメ業界への就職を考える就活生でもあります。アメフト日本一と就活、同時並行でチャレンジする日々は過酷でもありますが、その原動力は間違いなく明学で送った3年間にあると思って感謝しています。
Uさん(2023年3月卒業)明学生の姉が帰宅するといつも学校の様子を楽しく話してくれました。自ら行動を起こす生徒を周りの先生方や友人たちが応援してくれる雰囲気があることを知り、憧れて入学しました。しかし、私たちの入学式はコロナ禍の影響で6月でした。自ら行動を起こそうと体育祭実行委員になったのですが、直面したのが4カ月後に迫る体育祭の開催可否でした。新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される中、人と人が接触する体育祭は現実的ではありません。そんなある日、先生方は私たちを職員会議に誘ってくれました。中止ありきではなく、どうしたら開催できるかを先生方と議論したのです。結果として飲食は禁止になり、午前中のみの開催で決着しました。先生と生徒の立場に違いはあれども、対等な存在として見てくれる“自由”がそこにありました。コロナ禍が落ち着きを見せた高3になって初めて、体育祭実行委員ではない一生徒として体育祭に参加しました。みんなの笑顔が弾ける中、試行錯誤した私たちの2年間は無駄ではなかったと思うと、涙が溢れて止まりませんでした。
私は明学の先生方が好きです。好きな人の話が聞ける授業は楽しみです。明学入学時から国立大志望でしたが、不安もストレスも感じることなく受験勉強に専念することができたのも、そんな居心地の良さがあったからです。振り返るとコロナ禍で中止になった行事もあった高校生活でしたが、その分得難い経験をし、何十倍も楽しめた3年間でもありました。私は今、北の大地で海洋の生物資源と向き合っています。「自分がワクワクすること」をモットーに、北海道の漁師さんと対等に、未来の生物資源について議論できる日が来ることを夢見ています。
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