保健体育科のK先生、国語科のE先生、数学科のR先生、英語科のH先生。この4人は豊南高等学校を卒業した後に大学で教員免許を取得、母校の教壇に立ち、後輩である生徒たちに学ぶ楽しさを伝えています。先生方に高校時代の思い出や、授業を通して伝えたいことを語ってもらいました。
保健体育科のK先生、国語科のE先生、数学科のR先生、英語科のH先生。この4人は豊南高等学校を卒業した後に大学で教員免許を取得、母校の教壇に立ち、後輩である生徒たちに学ぶ楽しさを伝えています。先生方に高校時代の思い出や、授業を通して伝えたいことを語ってもらいました。
K先生豊南高校を受験したのは塾の先生に、「いい学校だよ」と薦められたからで、入学したのは『進学コース』でした。
R先生私は豊南高校の“明るい雰囲気”に惹かれて受験しました。
E先生豊南高校の校風に魅力を感じましたし、部活動に力を入れていることや制服がかわいかったことも理由です。
H先生『特進コース』ができたと聞いて、この新コースで勉強に力を入れようと思ったことがきっかけでした。
K先生小学校からサッカーを続けていたので、高校でもサッカー部に入りました。ポジションはディフェンダーです。勉強と部活動の両立を図るとともに学校生活を心から楽しみ、卒業後は日本体育大学スポーツ文化学部スポーツ国際学科に進学しました。
R先生中学生の頃は、あまり勉強熱心ではありませんでしたが、豊南高校の『進学コース』に進んだことで、「真剣に勉強しよう」と意欲がわきました。きっかけは、ある一人の先生から数学を教わったことです。先生の授業を真剣に聞き、宿題をきちんと提出していたところ、定期試験で“学年2位”の成績がとれたのです。その後の模試においても数学で高得点がとれました。その先生のおかげで数学の面白さがわかるようになっただけでなく、大きな自信を得ることができました。
E先生中学で吹奏楽部に入っていたので、高校でも吹奏楽を続けました。担当した楽器はクラリネットです。在籍していた『選抜コース』には、勉強と部活動の両立を図ろうと努力をしている生徒が多く、私もみんなに負けないように文武両道をめざしました。吹奏楽部では高3の時に『アンサンブルコンテスト』で金賞をいただいています。
H先生『特進コース』には、多くの生徒に高い志や目標を抱かせて、第一志望の大学に送り出そうという機運が先生方の間で高まっていました。どの先生方の授業にも熱がこもっていて、こうした恵まれた環境のなかで私も自分の力を伸ばそうと奮起したものです。
高校で力を入れたのが英語の勉強でした。お世話になった先生が獨協大学の出身で、獨協大学に進学すれば先生のように英語に強くなれると考え、獨協大学の国際教養学部言語文化学科を受験しました。
実は、中学生の頃から「英語」か「地理歴史」の教員をめざしていて、国際教養学部では「英語」だけでなく、「地理歴史」の教員免許を取得できることが大きな魅力でした。獨協大学を第一志望にしながら、ソフトテニス部の練習にも打ち込みました。
K先生中学時代、熱心に指導する体育の先生を見て憧れを抱き、高校に入学した頃から「教員をめざそう」という気持ちをもっていました。大学で、「トレーナー研究会」というサークルに所属しながら、月に1〜2回は豊南高校を訪れて、サッカー部のコーチを務めていたのです。
そんな日々を送るうち、「母校で教えたい」と思うようになりました。しかし、すぐには教員になるのではなく、大学を卒業して10年ぐらいは一般企業に勤めようとも考えていました。その気持ちを変えたのが、豊南高校での教育実習でした。高1と高2の生徒に「体育」と「保健体育」を教え、教育の素晴らしさを実感し、すぐにでも教壇に立とうと決めました。
実は、もうひとつ理由があって、高校時代に教わった先生方から新人教員として指導を受けるには、社会人を経験してからでは遅いと思ったのです。10年後、自分が母校の教壇に立つ頃には、定年を迎えて勇退される先生もいらっしゃるでしょう。また、教育実習時に先生方からいただいた、「この学校で教えてみては」という温かな言葉にも背中を押されました。
R先生先ほどお話しした、数学の先生と駅のホームで偶然再会したことです。その時先生は、「君は数学の先生になっているものと思っていたよ」と言ってくださいました。先生は定年で一度教員を辞められてから、非常勤講師として豊南高校で数学を担当され、私が高3の時には教員をお辞めになっています。
先生と再会した当時の私は将来の選択に迷い、大学生活を長く続けていました。ところが先生のその一言で、私の人生は大きく変わることになります。「先生は自分の数学の力を高く評価してくださっていたんだ」と感激し、数学の教員になる決心を固めたのです。そして、中央大学理工学部数学科に入り直し、教員免許を取得しました。
E先生教員になろうと思ったのは中学生の時でした。担任だった女性の先生が楽しそうに授業をしている姿を見て、「こんなふうに生徒を教えてみたい」と憧れたことがきっかけです。
私がめざしたのは国語の教員で、大学は文学部を志望していました。吹奏楽部は休日にも練習があって毎日が多忙だったので、授業をできる限り真剣に受けて、その時間内に教えられた内容を理解して吸収するように努めました。そして二松学舎大学文学部国文科に進学して、「万葉集」の研究に励みました。
H先生父が教員だったこともあり、中学生の頃から教員をめざし、教えるなら好きな「英語」か「地理歴史」を考えていました。獨協大学の国際教養学部言語文化学科に進学したのは、この学部では「英語」だけでなく「地理歴史」の教員免許が取得できたからです。
K先生できない理由を見つけるのではなく、今できることを見つけて最善を尽くす大切さです。例えば、サッカー部の練習中に自分のベストを発揮できない場面があったとしたら、そんな時は余計なことを考えず、ひたすら走って体を鍛えることに集中する方法もあります。これは当時のサッカー部顧問の先生から教えていただいたことです。
R先生一つひとつの出会いを大切にすることです。また、小さなきっかけで人は大きく変わることができます。そのきっかけを作ることも、教員の役割だと思っています。
E先生勉強でも行事でも、周りの生徒たちと心をひとつにすることで、一人ではできないことを成し遂げられました。大学では教員をめざす仲間たちと励まし合いながら教員採用試験の勉強に打ち込み、部活動では、どんなに辛いことがあってもめげずに頑張ることの尊さを知り、練習を通して忍耐力や持続力を身につけることもできました。
H先生『特進コース』では、学習面だけでなく生活面でも厳しい指導がなされていました。例えば、「整理整頓をする」「提出物の期日を守る」「挨拶をきちんとする」といった部分です。こうして身につけた姿勢は大学生活でも社会人となった今でも、大いに役立っています。
K先生一生懸命に練習したことは決してムダにはならず、何らかの形となって、いつか自分に帰ってくることです。
R先生数学の醍醐味です。解き方を数多く覚え、それらを使って問題を解く方法もありますが、最小限の解き方を駆使して最大限の力を発揮できるところに、数学の楽しさや奥深さがあります。
E先生ひとつは古典文学の素晴らしさです。大昔に生きた人たちの心情と、現代に生きる私たちの心情に大きな差はありません。感動、驚き、喜び、悲しみを当時の言葉で表現しているだけなのです。古語や古典文法に苦手意識をもたずに、古典文学を味わう楽しさを知ってもらえるような授業をめざしています。
H先生外国人に英語が通じた時の喜びや感動です。今、多くの外国人がビジネスや観光で日本を訪れており、日本にいながらにして英語を使う機会も増えています。英語は世界共通語であり、欧米だけでなくアジアの人たちとも英語で交流できます。
外国人と交流することで、相手の国の文化を知ることができますし、日本文化の素晴らしさにも気づけるでしょう。最先端の技術によってAIを相手に英会話を学ぶこともできますが、ぜひ顔と顔を合わせたコミュニケーションを大切にしてほしいと思います。
K先生教員の面倒見が良い点にあります。生徒一人ひとりの話に耳を傾けたうえで、その生徒に適したアドバイスを送ることを全教員が心がけています。
E先生教員になってから、どんなに忙しくても生徒の話を聞いたり、積極的に話しかけたりするように努めています。
R先生めざす進路に応じて『進学』『選抜』『特進』の3コースがあることです。『進学コース』の生徒が勉強を頑張って成績を上げ、レベルの高い大学をめざそうと思えば、『選抜コース』や『特進コース』に移ることも可能です。そして教員が一人ひとりに寄り添いながら目標達成を全力でサポートするところです。
H先生生徒が文化祭などで「これがしたい」と声をあげたことに対して教員が全力で応援することです。ぜひ豊南高校で学び、満ち足りた学校生活を送りながら、自分の可能性をどこまでも伸ばしてほしいと思います。
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