
Profile
及川勝義 校長
1960年、東京都出身。市川高等学校卒業後、獨協大学外国語学部英語学科に進学。卒業後、錦城学園高等学校に英語の教員として着任。パソコン部の顧問を務める。『英語コース』の担任としても生徒を指導。その後、教頭を経て2024年春、同校の校長に就任。趣味は英語の辞書収集、推理小説を原文で読むことと、ウェイトトレーニング。
1960年、東京都出身。市川高等学校卒業後、獨協大学外国語学部英語学科に進学。卒業後、錦城学園高等学校に英語の教員として着任。パソコン部の顧問を務める。『英語コース』の担任としても生徒を指導。その後、教頭を経て2024年春、同校の校長に就任。趣味は英語の辞書収集、推理小説を原文で読むことと、ウェイトトレーニング。
私は英語の勉強が大好きでした。英語は“未知なる言語”です。どんなに難解と思える英文でも、英語を学べば学ぶほど読み解けるようになります。例えば、『ビートルズ』の大ファンであった私は、曲を繰り返し聴いて英語の歌詞を覚えようとしましたが、歌詞の意味までは完全に理解できませんでした。しかし、英語を深く勉強していくと、少しずつ理解できるようになり、意味がわかるたびに感動を覚えました。こうしてさらに洋書にも親しむようになり、英語にますます魅力を感じ、英語の勉強に大きな喜びを見いだすようになったのです。
小中学生の頃は学校が大好きでした。教室に行けば仲の良い友達や、私が知らない多くのことを教えてくれる先生と会えるからです。そのため、学校へ行けなくなる夏休みが嫌でした。反対に、夏休みが終わる8月31日は「翌日から学校に行ける」と思い、心が弾みましたね。「一生、学校にいられたらいいな」と子ども心に思ったほどです。
そんな私には、もうひとつ好きなことがありました。“人に教える”ことです。小学生の頃から親戚の子どもたちに勉強を教え、物心がついた頃には「教員になろう」と考えていました。そして中学で英語を習い始めてからは、“英語の教員”になろうと決めていました。この夢が叶えば、好きだった学校へ大人になってからも通えます。英語を学ぶ楽しさを子どもたちに伝えることもできるのです。
高校卒業後は獨協大学の外国語学部英語学科に進学しました。英文を読み解くためには、“英語の仕組み”を知らなければなりませんから、主に英文法の研究に打ち込み、教員になるための教職課程をとりながら、塾の講師や家庭教師のアルバイトに励みました。大学卒業後は本校と埼玉県にある県立高校の非常勤講師を務めた後、神奈川県の私立校で専任教員として英語を教えていました。その頃、本校から「専任の教員にならないか」という声かけがあったのです。
当時から本校は“面倒見の良い”学校で、一人ひとりを心から大切にし、勉強が遅れがちな生徒をていねいにサポートしていました。英語科の先生方をはじめ尊敬できる方が多く、そのうちの先生の一人が、こうおっしゃっていました。「生徒にとって、よいことなのかどうか考えることを軸にして教えなさい」と。この言葉に感銘を受け、「こんな先生方のいる学校なら一生勤めあげたい」と思い、本校の教壇に立つことになったのです。
現在はなくなりましたが、当時、本校には英語教育に力を入れた『英語コース』が開設されていました。私はこのコースの担任を受けもち、生徒に“英英辞典”を持たせ、熱心に英語を教えました。毎日遅くまで学校に残って小テスト用の作問をしたり、授業の準備をしたりしたものです。教員としての仕事が楽しく、毎日が充実していましたね。生徒も頑張って英語を学んでくれました。『英語コース』は3年間クラス替えがないので、クラスの絆が強く、今でもクラス会に招かれます。
ある時、教え子の一人から電話がありました。彼も私と同じように外国語学部に進学して英語を専攻しており、優秀な成績を収めて首席となり、卒業式では総代を務めたのです。彼はこれまでのお礼を言いにゼミの教授を訪ねたところ、教授は「お礼なら、私ではなく君に英語を教えてくださった恩師に言いなさい。君をここまで育ててくださったのだから」とおっしゃったそうです。彼からの電話でこの話を聞いた私は、気持ちが込みあげて涙しました。
私が誇りに思う、社会に大きく貢献した教え子はほかにもたくさんいます。私が校長に就任した2024年の6月、本校は「杏林大学高大連携事業」に関する協定を締結しました。この連携に大きな役割を果たしたのが、教え子である倉林秀男さんです。杏林大学は「外国語学部」「総合政策学部」「保健学部」「医学部」の4学部を有しています。この締結により、杏林大学の先生方が本校で講義をしたり、本校の生徒が杏林大学の講義を受講したりするなど、大学と連携した新しい学びが始まろうとしています。
倉林さんは杏林大学外国語学部を卒業後、私の母校である獨協大学外国語研究科博士課程を修了し、現在、杏林大学学国語学部教授を務めており、著書に『ヘミングウェイで学ぶ英文法』(アスク出版)、『オスカーワイルドで学ぶ英文法』(アスク出版)などがあります。高大連携事業締結の調印式には、倉林さんも出席しました。
彼が本校へ教育実習に来た際、私は指導教員を努めています。高校時代も成績優秀なだけでなく、人柄も素晴らしく、クラスメートの一人ひとりを大事にしていました。愛校心も強く、後輩思いであり、数年前からは本校に来て、英検の二次面接の指導等をしてくれています。
本校はこれと足並みを合わせ、順天堂大学とも高大連携事業に関する締結を結びました。順天堂大学には、「医療看護学部」「スポーツ健康科学部」「保健医療学部」などがあり、本校からは看護系や医療系の学部に毎年、生徒を送り出しています。この高大連携事業により、杏林大学と同じように大学の授業に出席できるなど、多くの生徒が有意義に学ぶことができています。
高校の学びと大学の学びは大きく違います。大学では好きなことを自由に、そして徹底的に追究できます。さらに、ひとつの分野を追究するには幅広い知識や豊かな教養が必要であることにも気づけます。私は大学で英語学を専攻したことで、中高時代に親しんだ洋書をはるかに超える多くの作品と出会うことができました。ここ数年では『ダ・ヴィンチ・コード』で有名なダン・ブラウンと、映画『ジュラシック・パーク』の原作者であるマイクル・クライトンの作品は全作読んでいます。また、かつて本校の修学旅行先がアメリカだった頃、ジェフリー・ディーヴァ―の小説によく描かれているマンハッタンの街並みを歩くことができ、感激したのを覚えています。大学での学びは私の世界を大きく広げてくれたのです。
高校生が見る世界は限られています。ですから高大連携事業により、大学での学びを高校時代に体験できる、つまり、新しい世界に触れさせることで、生徒の知的好奇心を大いに刺激したいと考えています。大学に対する憧れを抱くことができ、学習意欲も高まるはずです。進路に対する意識も向上し、自分がめざす道を見つけることもできるでしょう。
義務感にかられて勉強するのは、“グライダー”と同じです。グライダーにはエンジンがないため、いったんは空高く飛べたとしても、やがて失速して地に落ちてしまう。しかし、知的好奇心というエンジンを積めば、それが学びの原動力となり、好奇心を燃料にいつまでも飛び続けることができます。海外まで飛んでいくことができ、やがては国際社会に貢献できるようになるのです。受験生の皆さん、本校で新しい世界に触れ、自分がめざす道を見つけてください。学校説明会でお会いしましょう。
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