Profile
能村英達 校長
1974年京都生まれ。宮崎県で少年時代を過ごす。明法高等学校卒業後、早稲田大学教育学部国語国文科に進学。1997年同大卒業後、文教大学付属中学校・高等学校に国語科教諭として赴任。学年主任を中学と高校とで合計13年間務め、中学主任も担当。2021年度より高校教頭を務め、ソフトボール部顧問を続ける。2024年4月より高校校長(中学副校長)に就任。
1974年京都生まれ。宮崎県で少年時代を過ごす。明法高等学校卒業後、早稲田大学教育学部国語国文科に進学。1997年同大卒業後、文教大学付属中学校・高等学校に国語科教諭として赴任。学年主任を中学と高校とで合計13年間務め、中学主任も担当。2021年度より高校教頭を務め、ソフトボール部顧問を続ける。2024年4月より高校校長(中学副校長)に就任。
私は小学校時代、少年野球チームに所属していましたが、「控え選手なのだから」と思って練習への熱意を失っていました。いつも「早く練習が終わらないかな」と思っていたほどで、練習場から脱走することもありました。高校ではバレーボール部に入りましたが、友人たちに同調してわずか半年で辞めてしまい、野球もバレーボールも中途半端で終わってしまいました。しかし、高校3年次、仲間の最後の試合を応援に行き、チーム全体の一体感・緊迫感・興奮・躍動・歓喜・涙に衝撃を受けました。中途半端で不完全燃焼なままでいた自分と決別しようと決めた瞬間でした。
そこで大学に進んだ私は気持ちを新たにし、体育会に入って真剣にスポーツに打ち込んで完全燃焼しようと決めました。どのスポーツにしようかと考え、まず、野球が頭に浮かびましたが、硬式野球部には入部資格がなく、体育会の各部の見学と体験を重ねた結果、初心者歓迎のソフトボール部に入部を願い出ました。「ソフトボールなら活躍できる」という過信は束の間で、残念ながらレギュラーにはなれませんでしたが、“大学日本一”という目標をチーム全体で共有して、ソフトボールに明け暮れる4年間を完全燃焼できました。在学中、ソフトボール部はハワイで開催された国際大会で優勝を果たし、優勝後にアメリカ・カンザス州で行われたワールドシリーズでは、選手として出場することもできました。
学業においては母が教員だったこともあり、大学では日本近代文学専攻でしたが、教職課程も履修していました。しかし、教員になる気はありませんでした。そんな私の人生を大きく変えたのが、大学4年次の教育実習です。
この6月の実習で母校の高校で古典を担当しながら、併設中学の軟式野球部を2週間サポートしました。夏の大会に向けて、自信に満ちたレギュラーの生徒もいれば、目標のない控えの生徒もいました。控えの生徒はどうしても「どうせ控えだから」と投げやりになりがちです。そんな意識の低さが練習する姿に見え隠れしていました。野球もバレーボールも中途半端に終わらせて挫折感を抱いてきた私は、控えの生徒たちの思いを痛感するとともに、当時の自分と重ね合わせ、「今ここで自ら意識を変えねば、一生後悔する」と思いました。そこで次のような言葉を投げかけ続けました。
「私はレギュラーではなかったけれど、大学で4年間ソフトボールというスポーツを続けて、多くの大切なものを得て成長することができた。何よりスポーツを通して君たちとも出会えた。君たちは野球が好きだろう? だったら君たちが何のために野球部に入ったのか、もう一度考えて、堂々と胸を張って最後の最後まで好きな野球に打ち込もう。一生懸命に取り組んだ先には、必ず何か思いがけない素敵なことが待っているはずだから」
実習中に数多くの部員と対話することができ、自分で新たな目標を立てて張り切る姿に体の奥底からわき上がるパワーももらいました。そして、7月の夏の大会に呼ばれ、チーム一丸となって試合をする成長ぶりを見て、「教職に生涯をかけよう」と決めました。教員になれば、「生徒たちと関わりながら成長を見守ったり、可能性を伸ばしたりするサポートができる」、そう確信したからです。
大学卒業後は国語科の教員として本校に着任し、ソフトボール部の顧問を務めました。そして教員実習で得たことを部活動だけではなく、学校行事や生活・学習面において実践してきました。生徒のなかには勉強に主体的に取り組めない子もいます。生活・学習面が中途半端な生徒を見て私の心は大きく動きました。生徒を集めて「一緒に勉強しよう」と呼びかけ、放課後に学習方法をアドバイスして学習の習慣づけに取り組みました。そして一人ひとりと相談して目標を決めて、「ここまでは皆と頑張ろう」と激励しました。鉄は熱いうちに打たなければなりません。生徒にとって勉強しないことが当たり前になってしまわないよう、自学自習できるようにサポートを根気強く続けました。
この延長線上にあるのが、現在の『文教ステーション(Bステ)』と言えます。これは生徒一人ひとりが主体的に学ぶ姿勢を身につけていくための放課後学習支援システムです。専用の教室に専任のチューターが常駐し、一人ひとりの理解度に応じて学びをサポートします。利用する日を自分で管理するため、生徒たちの自立学習の習慣づけに大きく貢献しています。この『文教ステーション(Bステ)』の導入により、自学自習の意識が高まり、進学実績にもつながってきました。結果を出して卒業していく先輩たちの背中を見て、下級生も勇気づけられ、全体の学習意欲もますます高まっています。
今までの道のりを振り返ると、“教わる”という受け身な学びの限界と、自ら学ぶ意識をもち、自分で変えていく地力を養う重要性を痛感しています。だからこそ校長として学校で育みたいものは、何事にも当事者意識をもって取り組むマインドです。このマインドを胸に抱き、人任せにせず自分で判断し、試行錯誤を重ねながらも自分で決めて道を切り拓いてほしいのです。
もうひとつ、常に胸に抱いていてほしいのは、建学の精神である「人間愛」です。自分で道を切り拓いていかねばならない「多様性に満ちた世界」では、相互尊重と思いやり、人と人との関わりをどこまでも大切にできる「人間愛」にあふれる人物に育ってほしいと願っています。
本校は「多様性に満ちた世界」に向けたグローバル教育に力を注ぎ、多彩な留学や海外研修を用意していますが、原点は教室で繰り広げられる身近な人間関係にあると考えています。行事や部活動でも、これまで以上にコミュニケーションを図って意見を出し合い、自分だけでなくクラスメイトや部員にとって何が最適なことなのかを導き出してほしいと思います。こうした当事者意識や「人間愛」が、地球規模で考え、行動できる力になるはずです。本校にはそれができるプログラムと環境があり、スタッフと仲間がいると自負しています。
私は最近、英文学者である外山滋比古氏の『乱読のセレンディピティ』という本を読んで腑に落ちたことがあります。「セレンディピティ」とは「副産物」や「思いがけない幸運」を意味します。考えると、学校という教育現場には「セレンディピティ」があふれています。例えば、文化祭に向けて準備を重ねるなかで、意見が合わずにクラスメイトと衝突することもあります。しかし、文化祭を終え、その達成感を分かち合うことで、意見が合わなかった相手が無二の親友になることがあります。文化祭という行事が「友情」や「絆」といった「副産物」を生み出すのです。
振り返れば、ソフトボールや軟式野球部の部員たちが、私に“教員”という天職というべき仕事を「副産物」として与えてくれました。人との出会いや諦めない気持ちは、思いがけない化学反応を起こさせるものです。
本校の特色は、生徒たちがお互いを認め合いながら協力して、勉強にも行事にも部活動にもじっくりと取り組めることです。だからこそ、本校は多くの「副産物」を生み出せると考えています。失敗や挫折の一つひとつにも意味があり、負けずに立ち向かおうという主体的な気持ちがあれば、必ず満足できる結果が返ってくるはずです。本校では全教員が、勉強や行事、部活動へ真剣に打ち込む生徒を全力で応援しています。
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