2024年春、大学4年生になった卒業生が“教育実習生”として母校に帰ってきました。高2の春先にコロナ禍が始まり、高3の4月には休校となり、全国の多くの高校で学校行事が中止となった学年です。教育実習で「地歴公民」と「保健体育」の授業を行った3人は、改めて母校の先生方が注いでくれた愛情と、“授業力”の素晴らしさを実感した様子。それぞれが学校生活について語ってくれました。
2024年春、大学4年生になった卒業生が“教育実習生”として母校に帰ってきました。高2の春先にコロナ禍が始まり、高3の4月には休校となり、全国の多くの高校で学校行事が中止となった学年です。教育実習で「地歴公民」と「保健体育」の授業を行った3人は、改めて母校の先生方が注いでくれた愛情と、“授業力”の素晴らしさを実感した様子。それぞれが学校生活について語ってくれました。
私は東洋大学京北の“共学1期生”です。校舎が新しくなったことと、1期生として新しい学校を作り上げていくことができる点に魅力を感じていました。もう一つの魅力は、「東洋大学」の附属校であること。私が学んでいる「ライフデザイン学部」には、介護の分野を学ぶ「生活支援専攻」や幼児教育を学ぶ「子ども支援学専攻」、建築を学ぶ「人間環境デザイン学科」など、多彩な学問分野があります。
私が所属している「健康スポーツ学科」は、保健体育の教員免許を取得できる学科です。スポーツトレーナーや、企業の人たちの健康をサポートする“第一衛生管理者”の資格も取れるなど、幅広い進路を考えることができます。
※ライフデザイン学部:「 生活支援学科生活支援学専攻」「生活支援学科子ども支援学専攻」「人間環境デザイン学科」「健康スポーツ学科」は2023年度に募集を停止、「福祉社会デザイン学部」「健康スポーツ科学部」へ発展的に改組しました。
また、「音楽の世界に携わり世界で活躍したい」と思っていた私にとって、東洋大学のグローバル教育や、留学生を多く受け入れている点にも惹かれていました。留学生を数多く受け入れていたので、私が所属しているゼミにはウクライナ人の留学生もいます。
高3で学部選びをする際、グローバルな道に進むか、教育分野に進むかで迷っていた私にとって、先生方の親身なアドバイスはとてもありがたいものでした。先生方が私の特性や適性を本当に理解してくださっていたからこそ、適切な指針を示してくれたのだと思います。
学校生活で一番印象に残っているのは、『京北祭』(文化祭)の「歌うま王者決定戦」のソロ枠に参加して3連勝したこと。参加者と部活動や委員会活動での人間関係は、また違うものがありました。
教育実習では「探究の時間」の取り組みが印象的でした。それぞれが自分の探究テーマを決めるために、校庭の好きな場所で思索する時間を過ごしたのです。雲を眺め、太陽の光を感じながら自分を見つめる探究活動は、“哲学教育”に取り組む東洋大学京北ならではの時間。“自分らしく生きていい”ということを教えてくれました。将来は固定概念に縛られることなく、一人ひとりの個性を発揮させてあげられるような教員をめざします!
東洋大学文学部は“推薦枠”がすぐに埋まってしまう人気学部です。希望する学部へ進むには普段の成績が問われるので、部活動と両立させながら毎日の学習を積み重ねていました。
歴史に興味をもったのは、地歴公民の先生の授業がきっかけです。先生の知識量は驚くべきもので、興味深いエピソード満載の内容でした。受験を考えた際にも実践的な指導をしてくださいました。
ある時、歴史書の現代語訳版が東洋大学の図書館にあると聞いたので訪れてみると、155万冊もの蔵書に希少な書籍も数多くありました。東洋大学京北の生徒は、申請をすれば東洋大学の図書館を利用できます。
東洋大学の図書館は、日本文学に関する書籍も豊富です。進路を決定する際、「日本文学」か「日本史」のいずれかでギリギリまで迷ったのですが、高校時代、社会科の先生との“歴史談義”が楽しくて、「史学科」を選択しました。
高校時代はバスケットボール部に所属して、“東京都ベスト8”を目標にしていました。男子校時代のバスケ部は強豪で、その時代に全国優勝を経験している先輩や、現在の“Bリーグ”で活躍する先輩もよく来てくださいました。春•夏•冬それぞれで合宿をしたのもいい思い出で、共に切磋琢磨した仲間とは大学生になっても親交があります。
今回の教育実習では、高1の歴史総合の授業を経験したのですが、後輩たちのとても真剣な眼差しが印象的でした。授業の最後に発問をすると、「しっかりと授業を聞いていたな」と思える答えが返ってきました。休み時間やホームルームはとても楽しそうで、それは自分の高校時代と変わらない風景でした。
教育実習は“教える楽しさ”を実感する経験ができます。私自身、東洋大学京北で「しっかりと勉強に打ち込めば、成績は伸びる」と感じた3年間を過ごしたので、将来は教育機関で子どもたちの成長に関わりたいと思います。
私が所属していた軟式野球部は、高2の新人大会で”東京都3位”となり、関東大会に出場しました。「このままいけば、全国大会が行われる明石市の球場へ行くのも夢じゃない」と希望を抱いた高2の春先、コロナ禍が始まりました。「明石に行くことだけを考えて冬の練習をしていたのに、どうしたらいいのだろう」と部員全員が呆然としていました。
高3は休校で始まりました。もちろん学校行事の多くが中止です。「このまま何もできずに卒業したくない」——そう友達と話していた時に、「3年生だけでも体育祭をやろう!」と思いついたのは夏頃です。高2の時に体育祭実行委員長を務めた私が中心になって、10人くらいの同志と行事の企画書を作り、学校と交渉して校長先生とも話をしました。感染症対策などしっかりと考えながら、夏休み中に準備をして、9月に「大運動会」を開催することができました。3年生だけでしたが、「クラス対抗リレー」も「綱引き」も「ドッジボール」もやって盛り上がりました。
体育祭の前には、今までの学校生活で撮った写真を3年生から集め、音楽をつけて編集し、ムービーを作りました。1年、2年の文化祭と体育祭、修学旅行で行った沖縄の写真もあります。ラストに各クラスの担任の先生からいただいたメッセージを入れて、体育館で上映しました。コロナ禍で受験にも不安はありましたが、体育祭でみんなが一つの気持ちになって大学受験に臨んでいました。
私たちは東洋大学京北中学高等学校としての1期生です。だからこそ、体育祭や文化祭の伝統も一から作り上げることができました。学校行事は人にやらされるのではなく、自分たちで作り上げるもの。コロナ禍における体育祭は学校と生徒、お互いが寄り添って実現した行事です。何よりも生徒の考えが否定されないのが東洋大学京北の「らしさ」だと思います。
コロナ禍を経験しているからこそ、通常と違った想定外の事態に直面しても、周囲の人たちを支えることができると思います。将来は教員となって、生徒たちを支える存在になりたいと思います。そう思えるのは、大変な時期にも温かく僕らを支えてくださった東洋大学京北の恩師のおかげです。
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