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野球が僕たち私たちの
気持ちを一つにした

横浜高等学校

〒236-0053
神奈川県横浜市金沢区能見台通46-1

TEL:045-781-3396

学校情報 学校HP

 2020年に共学校となった横浜高等学校(以下、横高)。2021・2022年には硬式野球部が2年連続で全国高等学校野球選手権大会に出場しました。しかし2023年、横浜スタジアムで行われた夏の神奈川県大会決勝戦では惜しくも慶應義塾高等学校に破れ、甲子園出場を逃してしまったのです。“今夏の熱き闘い”を横高の生徒たちはどのように支え、どのような思いを胸に抱いたのでしょうか。 チアダンス部・吹奏楽部・応援指導部・JRC部・マルチメディア部・硬式野球部の部員、そして生徒会本部役員に集まってもらい、話を聞きました。

暑さを忘れて夢中で応援

チアダンス部の鈴木莉子さん(高3) チアダンス部の鈴木莉子さん(高3)

まず、皆さんの自己紹介からお願いします。

鈴木さん私は高3で、チアダンス部部長を務めています。横高に入ったのは、オープンキャンパスで初めて訪れた際、正門をくぐった瞬間にピカピカの校舎が目に飛び込んできて、「高校って中学とは違ってこんなにキレイなんだ!」と感激したことが理由です。

 高1の時、横高が夏の甲子園大会に出場しました。でも、コロナ禍で人数制限があったため、部内でオーディションが行われ、ダンスのスキルなどが審査されました。その結果、私は1回戦から応援に行き踊ることができました。

 神奈川県大会や甲子園大会では、猛暑のなかを踊り続けなければなりません。でも「勝ってほしい!」という気持ちが強く、辛いとは思いませんでした。野球の応援を通して多くのことを学べたと思っています。

吹奏楽部の柴田七実さん(高3) 吹奏楽部の柴田七実さん(高3)

柴田さん私は高3で、吹奏楽部では副部長を務めています。担当しているのは金管楽器のユーフォニアムです。横高には野球の応援がしたくて入学しました。高1の県大会の時は新型コロナの影響で吹奏楽応援の制限があったため応援には行けませんでしたが、初めて球場で演奏したのが夏の甲子園大会だったのです。甲子園球場を目にした時は、スケールの大きさに感動したのを覚えています。

 夏の県大会にはコンクールの練習があったため、コンクールのメンバーは全試合の半分しか応援に参加できず、実は私は決勝戦でも演奏は叶いませんでした。ただ、県大会ではこれまでできなかった経験をしました。入学してからコロナの感染防止対策のため、球場では声を出して応援できなかったのですが、今年は声が出せたのです。四方から大きな声援や応援する歌声が響くなか、その声に負けないように夢中で演奏したことは、忘れられない思い出になりました。

応援指導部の山本快風さん(高1) 応援指導部の山本快風さん(高1)

山本さん僕は応援指導部に入っています。学年は高1です。応援指導部は横高の野球部を応援し、勝利に導くための部です。僕は応援指導部に入部したくて横高を受験しました。大学1年生の姉が、当時横高の吹奏楽部に入っていて、僕も球場に姉が演奏する姿や試合を見に行ったことがあり、その時に応援指導部の応援を見て、強い憧れを抱いていました。

 応援指導部の役割は、応援の指揮をとって、スタンドの皆さんが一体となれるよう応援歌の選曲をして、部員同士、遠くで見ても伝わるよう手腕を使ったサインを出したり、大きな声でエールを送ったりすることです。横高には『第一応援歌』から『第六応援歌』まであり、ほかにも『B1』『B2』といった数多くの応援歌があります。そこで生徒会役員の高梨さんは曲名が書かれた大きなプラカードを掲げ、次なる応援がどの曲になるのか、多くの人に伝えました。

 夏の県大会では炎天下のなかずっと立ち続け、氷水をシャツにかけながら夢中でサインを出し続けました。チアダンス部の鈴木さんが話していたように、「勝ってほしい!」という気持ちで胸がいっぱいになり、暑さを忘れるほどでした。

甲子園は“特別な場所”だった

生徒会本部の高梨樹さん(高3) 生徒会本部の高梨樹さん(高3)

高梨さん高3の僕は、2023年7月まで生徒会本部で会計を務めていました。生徒会本部のメンバーは球場に行って応援のサポートをします。僕は高2で立候補したので、その年の夏の甲子園大会に行くことができました。甲子園球場を生まれて初めて見た時は、あまりの感動に鳥肌がたったことを覚えています。

 生徒会本部を引退した後も、夏の県大会に応援のサポートに行きました。応援指導部の山本くんが話したように、プラカードで応援歌が確実に伝わるようにします。この指示によってチアダンス部の部員が踊り、吹奏楽部の部員が演奏するのです。責任の重い役を与えられたことを誇りに感じています。

JRC部の小西公範さん(高3) JRC部の小西公範さん(高3)

小西さん僕はJRC部に入っています。学年は高3です。JRCは「青年赤十字」という意味で、幼稚園での手伝いや清掃などのボランティア活動をしたり、点字を学んだりしています。校内に貼られたポスターを見て、「僕も誰かのために役に立ちたい」と思い入部しました。

 JRC部では球場で応援している人たちを見回って、気分や体調が悪くなった人の救護活動をします。僕は応援指導部やチアダンス部、吹奏楽部の部員たちを“うちわであおぐ”というサポートもしました。

 1年生の時はコロナによる人数制限で球場に足を運ぶことはできませんでしたが、高2では夏の甲子園大会の応援に行けました。野球が好きで横高に入ったので、甲子園に行けたことはかけがえのない体験になりました。

マルチメディア部の川島りろさん(高1) マルチメディア部の川島りろさん(高1)

川島さん高1の私はマルチメディア部に所属しています。横高を受験したのは、もともと野球が好きだったこと、制服がかわいかったことが理由です。

 マルチメディア部の部員は球場に行き、試合や応援の様子を撮影してリアルタイムでマルチメディア部のサイトに載せたり、スコアを記録したりしました。猛暑でカメラが熱くなって使えなくなったり、電波が弱くて写真を送れなかったり、床に膝をついて写真を撮るため膝が真っ赤になったり……。夏の県大会では苦労が多かった分、部員のみんなと感動を分かち合うことができました。

 球場では、野球ファンの人から「頑張ってね」「ありがとう」と声をかけられることもありました。その言葉にも励まされ、マルチメディア部員としての仕事をやり遂げることができました。

硬式野球部マネージャーの森合浩太郎さん(高3) 硬式野球部マネージャーの森合浩太郎さん(高3)

森合さん高3の僕は硬式野球部のマネージャーを務めていました。今は引退しています。小さな頃から野球に親しみ、野球をするために横高に入りました。選手として硬式野球部に入部し、高1の夏が終わった時にマネージャーになりました。その年の夏の甲子園大会は、家族が濃厚接触者になってしまい、テレビで1回戦を観ました。緒方漣が逆転サヨナラホームランを打って「広島新庄高校」に勝ち2回戦に進んだので、僕は甲子園球場に行き、アルプス席から応援することができました。

 翌年はマネージャーとして選手とともに甲子園球場に行きました。マネージャーという役目柄、多くの人たちと話す機会があり、高校野球ファンの方々から励ましの言葉をいただきました。そのたびに「ここは特別な場所なのだ」と感動したものです。

この思い出は一生の宝物

2023年の神奈川県大会では、どのような思いを抱きましたか?

鈴木さん決勝戦で逆転負けを喫した瞬間、部員と抱き合って号泣しました。その時は「野球部に甲子園へ行ってほしかった」「甲子園で応援したかった」という残念な思いもありました。でも、振り返れば見応えのある試合の連続で、今は野球部員には「感動をありがとう」という気持ちでいっぱいです。この思い出は一生の宝物です。

柴田さん決勝戦翌日が「横浜吹奏楽コンクール」の日で、練習のために現地での応援には行けなかったのですが、その日は午前中で練習を終えたため、部員のみんなとスマートフォンで観戦しながら応援していました。みんなで「野球部は勝てなかったけれど、吹奏楽で慶應に勝とう! 全力で頑張ろう!」と誓い合いました。

山本さん決勝戦が終わり、負けてしまったことに茫然としながら給水場に行って休憩しようとした時、ふいに悔しさが込み上げてきて泣いてしまいました。この悔しさをバネにして、2024年は今年以上にみんなの気持ちを一つにし、力いっぱい応援して野球部を勝利に導きたいと思います。

高梨さん閉会式が終わった後も、負けた実感がありませんでした。その後、片付けをする際に野球部員が泣いているのを見て、「ああ、負けたんだな……」と思い、悲しさがこみあげてきました。しかし、2023年は甲子園へ行けませんでしたが、野球を通して素晴らしい体験ができ、横高に入って本当によかったと思っています。

小西さん負けてしまった代わりに、“横高生の心が野球を通して一つになった”という一体感を味わえました。また、球場での救護活動を通して、大きな行事を陰で支える喜びを感じることもできました。野球から得たことを、大学での学びや将来の職業に活かしていきたいと思います。

川島さん甲子園に行けなかったことは残念ですが、私はまだ2024・2025年と夏が2回あるのでこれからが楽しみです。今回の経験を通して、マルチメディア部として新たな目標が生まれました。横高の試合の模様はほかの人たちもTwitterなどSNSで発信しているので、今後、マルチメディア部にしかできない発信をしようという目標です。

 例えば、球場以外での野球部の活動を知らせることです。その一環としてWBSCで活躍し、台湾から帰国した野球部前主将の緒方先輩の祝賀会の模様をホームページに掲載しました。ほかでは観ることのできない野球部員の姿を、これから発信していきたいと思います。

森合さん野球部は“一戦必勝”の意気込みで全ての試合を闘ってきました。県大会では中盤、終盤になるにつれて「勝てる!」と僕は確信していたので、9回表で慶應義塾高校にホームランを打たれた時は頭の中が真っ白になりました。そして選手たちが泣き崩れているのを見て、負けたことを改めて実感しました。

 甲子園までの道のりは、辛いことが9割を、うれしいことが1割を占めています。辛いことを乗り越えてきたからこそ1割のうれしさがあるのです。もちろん、そのうれしさは優勝することにあります。

 2023年は甲子園に行けませんでしたが、最後の最後まで力を尽くして闘って得られた喜びや達成感は、その1割に匹敵すると思っています。さまざまな困難を乗り越えてきたからこそ、得られた喜びです。こうして今日、この場でみんなから「貴重な体験ができた」と言ってもらえたことで、野球部のマネージャーを務めてよかったと心から思えました。

ありがとうございました。皆さんの今後の活躍に期待しています。

web記事
「2023年度全校応援~ファイト横高!~」

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