わかっているようでも、意外と何もわかってないのが「自分」です。自分とは何か、人間とは何か……。長い人生のほんの一瞬の高校時代だからこそ、少しばかり立ち止まって見つめ直してみたい時間(=『総合科・人間学』)がここにありました。
わかっているようでも、意外と何もわかってないのが「自分」です。自分とは何か、人間とは何か……。長い人生のほんの一瞬の高校時代だからこそ、少しばかり立ち止まって見つめ直してみたい時間(=『総合科・人間学』)がここにありました。
ともすると情報ばかりが先行し、人間としての居場所を見失いがちなのが現代社会なのかもしれません。そのような現代社会が忘れかけている“人間そのもの”を、キリスト教の価値観から見つめていくのが、ミッションスクールである玉川聖学院ならではの総合学習の授業です(同授業は1993年から開始)。お話を伺った総合科主任の安積源也先生は、ミッションスクールとしての同校の学びをつくりあげている先生の一人でもあります。
「『総合科・人間学』は、高1と高2の2年間でじっくりと取り組んでもらっています。16~18歳は青春時代のなかでもとりわけ多感な年頃です。生徒一人ひとりが成長するうえで、物事の本質をつかむ力を磨くことが重要な時期でもあります。『総合科・人間学』を通して、大学受験だけでなくその先に広がる長い人生において必要となる糧を、自ら見いだす機会にしてもらいたいと思っています」(総合科主任/安積源也先生)
授業には必ず聖書科教員のほかに、理科、社会科、家庭科、保健体育科などの複数の教員が参加します。
「例えば、日本史を教えている教員が戦争の話をするとします。するとそこには教科の枠を越えた“人間(自分)とは何か”を探究する機会があります。また、“命”というワードひとつとっても、理科としての視点があり、保健体育科からの視点もあるでしょう。これらの教科の枠を越えて“人間そのもの”を学ぶ機会としてつくられたのが『総合科・人間学』なのです」
多感な年頃の生徒たちにとって、『総合科・人間学』の授業で活用している自作のノートは、卒業したその先の長い人生において重要な意味をもつアイテムになっています。
「本校では、調べ学習や課題の作成などにタブレット端末を活用していますが、『総合科・人間学』で何よりも大切にしているのは、生徒自身が考えたことをノートに記し、言語化していく姿勢です。つまり“アナログ”です。現代では、学習の成果ですらクラウドに蓄積するような時代になっていますが、果たして10年後、20年後も同じ方法をとっているでしょうか。もしかしたらクラウドも時代遅れのものとなり、そこに保存していたものが使えなくなるかもしれません。その点、手書きのノートなら、30年、40年を経ても10代の頃の自分の筆跡は残り、筆感の強弱から“あの時の自分と出会う”ことができるのです」
かつて受講した『総合科・人間学』の感想を卒業生に問えば、「人間学で作りあげたノートは宝物」「今でも時々ノートを開いて読み返している」などといった声が返ってくると言います。
「10代の頃に本気でノートに書き記した言葉が、30年、40年経った時、自分に向かって投げかけてくるパワーは、きっとものすごい熱量に満ち満ちていることでしょう。そこを大事にしてもらいたいと思っています。ちなみに『総合科・人間学』では、2年間の授業で一度しか定期試験を行わないかわりに、年数回ノートの提出が重要な評価対象となります」
この日は高1対象の『総合科・人間学』を見学しました。聖書科の山名先生が担当する「私が私であるために」という授業です。テキストに使われたのは、2004年に公開されたスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画『ハウルの動く城』です。
「今日の授業に入る前、思春期・青年期は一体どういう時代なのかという話は生徒たちにしてあります。『ハウルの動く城』では、主人公である18歳のソフィーを通して、“自分は何者なのか”ということを各自に考察してもらいました。ポイントとなるのは、18歳という大人と子どもの境目にある自分を知ることです。ある時は、『まだ高校生でしょう』と言われ、またある時は、『もう高校生なのだから』と言われる矛盾についても考えてもらっています」
50分間の授業中、生徒たちが映像に見入る姿は真剣そのもの。その傍らで、主人公・ソフィーの一挙手一投足を通して自ら感じる想いを、手元のノートに記していきます。
「言葉にできない想いはたくさんあるはずです。でも、そこに言葉を当てはめようとすることが、今の時代はおろそかになっています。例えば “ヤバい”という一言で全てを済ませてしまうことがありませんか。具体的に“どうヤバいのか”ということに対して、各々の言葉を当てはめていくと、自分の中で起こっている事柄が平面的でなく、もっと立体的に見えてくるはずです。その手助けができたらと思いながら、生徒一人ひとりのノートに目を通しています」
高1から高2へと成長を続けるなかで、『総合科・人間学』の時間は「今、ここにいる私」(高1)、「人生の四季を生きる」(高2)と、よりテーマを明確にしていきながら時を刻んでいきます。
「2年間にわたる『総合科・人間学』を締めくくる課題が『テーマ読書発表』です。私たち教員が総出でリストアップする本は、“愛” “命” “平和” “女性” “希望” “使命”という、女子校に集う生徒たちに向き合ってほしい6つの根源的なテーマが基になっています。その感想を記した読書レポートはグループの意見としてまとめられ(グループディスカッション)、発表していきます(グループ発表)」
グループ発表の内容に、初めから決まっている正解などはありません。生徒一人ひとりが自らと真摯に向き合うなかから、より良く生きるための仲間たちとの協働や、自らの進むべき道が見えてくるのが『総合科・人間学』です。
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