自律を学び自立すること、そして新しい自分を発見することをめざす東野高等学校。同校で大きく成長し、大学生活に向けて今春から新しい一歩を踏み出そうとしている2人の高3生がいます。特進コース『スーパーSクラス』で学び、法政大学社会学部社会政策科学科に進学する片岡泰地さんと、特進コース『インターナショナルIクラス』で学び、アメリカのシアトルにあるショアライン・コミュニティカレッジに進学する飯塚
自律を学び自立すること、そして新しい自分を発見することをめざす東野高等学校。同校で大きく成長し、大学生活に向けて今春から新しい一歩を踏み出そうとしている2人の高3生がいます。特進コース『スーパーSクラス』で学び、法政大学社会学部社会政策科学科に進学する片岡泰地さんと、特進コース『インターナショナルIクラス』で学び、アメリカのシアトルにあるショアライン・コミュニティカレッジに進学する飯塚
「中学生の時に通っていた塾の先生に進められたことが、東野高校に入学したきっかけです。学校見学に参加した際、自然の景観を活かしたキャンパスを見て、この学校で学びたいと思いました」
そう振り返る片岡さんは、中学時代の学力が評価され、特待生としてスーパーSクラスに入学。サッカー部に入部しました。ポジションはミッドフィルダーです。サッカーは小学校から始めて、中学ではクラブチームに入っていたといいます。
「でも、入学してからは反抗期も手伝って、サッカーも勉強もやる気を失ってしまったんです。高2の終わり頃まで投げやりな気持ちで毎日を過ごしていました」
そんな片岡さんを大きく変えたのは、彼が高2の時に国語を教えた川口ひろみ先生でした。
「川口先生に国語を習うようになってから、先生は常に僕を気にかけてくださいました。『君はいいものをもっているんだよ』『行きたい大学は決まったの?』『ちゃんと勉強しているの?』というふうに繰り返し声をかけてくださったんです」
川口先生の言葉によって、これまでの生活を反省するとともに自信を取り戻した片岡さんは、高3になると勉強やサッカーに熱を注ぎ始めます。そして一般選抜で大学を受験したいと思うようになったのです。高3の6月、片岡さんは一大決心をしました。
「『大学に行くなら、私大ではトップレベルの早稲田をめざそう』と決めました。高校に入ってから真剣に勉強しなかった僕が、どこまで行けるのか、自分の可能性を試したかったんです。『今からでは遅いよ』『無謀だ』という人も少なくありませんでしたが、川口先生に相談したら『その言葉を待っていたんだよ。片岡くんなら合格できるよ』と背中を強く押してくださったんです。そこで覚悟を決めて7月にはサッカー部を引退して猛勉強しました。学部は世界史に興味があったので、社会科学系にしました。
クラスの仲間にも『一緒に勉強しよう』と声をかけて『サテライト部』という勉強のためのサークルも立ち上げました。入間市駅の前に東野高校の生徒が自習できる『入間サテライトルーム』(2023年からは、校内に多目的な学習スペースであるFVBを開設)という施設があるので、放課後にそこに集まって勉強してから帰宅することにしたんです。
その結果、高3の4月の模試では英語・国語・世界史の3教科の偏差値が40台だったのですが、11月の模試では70にアップしました。早稲田の合格判定はBに変わりました」
そして、いよいよ入試本番の日を迎えました。
「早稲田大学の社会科学部や商学部などを受けましたが、合格に手が届きませんでした。でも、法政大学社会学部社会政策科学科に合格できたんです。中央大学にも一般選抜で受かりました。また、大学入学共通テストの利用で法政大学の他学部にも合格しましたが、社会政策に興味があるので、こちらの学部に進むことにしました。
勉強していて何度もくじけそうになりましたが、クラスの仲間や先生方、両親の支えがあって頑張ることができました。この経験を通して、大きく成長できたのではないかと自負しています。今は、僕を応援してくださった先生方、育ててくれた両親、一緒に勉強した仲間たちに感謝しています。
大学に入ったら、TOEICに挑戦して英語力を磨き、海外に行って世界史で学んだ歴史的な建造物を実際に見てみたいと思っています。また、フットサルをはじめ、ほかにもやりたいことがいっぱいです。将来の職業はまだ決めていませんが、両親が僕のことを誇れるような大人になり、社会に役立つ仕事に就くことが目標です」
片岡さんの恩師である川口先生は、次のように振り返ります。
「高2の時の片岡くんは、本人が語っているようにやる気をなくし、勉強にまったく身が入っていない様子でした。それにもかかわらず、ある時、試験に記述式の問題を出したところ、クラスで最も完成度の高い仕上がりになっていたのです。『この生徒を伸ばせなかったら、私は教員として失格』。そう思えるくらい、片岡くんは素晴らしいものをもっていたのです。
そして『この生徒を鍛えることが、進路指導部長としての重要課題だ』と確信しました。しかも、彼はサッカーを続けてきました。スポーツで培った忍耐力や持久力は、受験にも有利に働きます。片岡くんの力を引き出すために、私は彼に声をかけ続けました。
片岡くんが高3になると、私は副担任になりました。すると、これまで声をかけても反応が鈍かった彼が自分から私に『話したいことがあります』と話しかけてきたのです。聞くと『早稲田に行きたい』というので、『この日を待っていたよ』と答えました。それから彼は大きな飛躍を見せました。彼が話したように約8カ月間で偏差値を20以上も伸ばしているのです。高3のこの時期は、大学受験を前にして多くの生徒が勉強に集中します。この時期に、ここまで偏差値を向上させたことは、なみなみならぬ努力の証です。
残念なことに、片岡くんは第一志望の早稲田には合格できませんでした。悔しい思いをしたでしょう。しかし、その悔しさと難関校の法政大学に合格したという自信は、一生の財産になるはずです」
続いて、片岡さんの担任を務めた桑原先生は次のように話します。
「片岡くんがクラスメートに与えた影響は絶大でした。高校1・2年次で成績が振るわなかった彼が、一念発起して早稲田をめざしている姿を見て刺激を受け、ほかの生徒たちも勉強に力を注ぐようになったのです。勉強していてわからない箇所を片岡くんに聞きにいく生徒もいました。
彼の呼びかけによって生まれた『サテライト部』も大きな存在となりました。こうして大学受験に向けてクラスの雰囲気が変わった結果、これまでの成績から比較すると、信じられないほど高いレベルの大学に合格する生徒が出てきたのです。
片岡くんには大学でもこの成功体験を活かし、周りの学生を巻き込んで、お互いに高め合える環境をつくってほしいと思います」
「私の父は仕事の関係でアメリカ人の知り合いが多く、私はそんな人たちが催すパーティーに出席するなど、幼い頃からグローバルな環境で育ちました。そのためアメリカの映画やドラマ、音楽が好きになりました。また、小2の時以来、アメリカの大学に進みたいと思うようになったんです。そして中学生になると、その準備として海外に留学できる高校に進みたいと考えるようになりました」
そこで飯塚さんは英語教育に力を入れるとともに、多くの海外語学研修や留学制度を整えた『インターナショナルIクラス』に入学。部活動は女子サッカー部に入部しました。
「『インターナショナルIクラス』は、ネイティブの先生による英会話の授業がたくさんあり、英語の4技能を磨くことができます。また、英語で自分の考えを発表できるように、1学期に1回、英語でプレゼンテーションをします。自分でテーマを考え、英語を使って原稿やプレゼンテーションソフトの資料を作成し、クラス全員の前で発表します。
最初はみんな声が小さく、アイコンタクトもジェスチャーもうまくできないのですが、経験を積むに従って、クラスの全員が堂々と発表できるようになりました。高1の時にプレゼンテーションの様子を撮影した動画を今見ると、どれだけ成長したかがよくわかります」
部活動に励みながら、英語やプレゼンテーション力を鍛えた飯塚さんは高2の8月、念願のカナダ中期留学に出発しました。期間は3カ月です。
「カナダではバンクーバーのビクトリア地区にあるホームステイ先から現地の高校に通いました。原則として1校の現地校に、東野高校の生徒が1人で学ぶことになります。ですから教室では同じ高校の生徒はいません。
英語には自信があったのですが、最初は現地校のクラスメートに話しかけても通じませんでした。授業でも先生の話すスピードが速くて内容を理解できず、しばらく一人ぼっちの日々を過ごしました。
そこで、このままでは何も変わらないと思い、自分からクラスメートに積極的に話しかけるようにしたんです。すると、自分の思いが通じるようになり、クラスに打ち解けることができました。一緒に買い物をしたり、ご飯を食べたりする友達もできました。先生の話も耳が慣れて聞き取れるようになりました。
ホストファミリーの方たちとは初日からすぐ仲良しになれました。ホストブラザーは小6の男の子、ホストシスターは高1の女の子です。みんなが私を温かく迎えてくれ、休日は毎週のように観光地などへ連れて行ってくれました。
現地校の授業にもすっかり慣れ、ホストファミリーを本当の家族のように感じて『もっとカナダにいたい』と思い始めた頃、帰国の日が迫りました。そして空港ではホストファミリーのみんなと涙のお別れをしました」
このカナダでの体験は、飯塚さんが小学生の頃に思い描いていたアメリカの大学に進学するという夢を、揺るぎない決意へと変えました。
「私の要望を聞いた担任の古市先生は、進学のサポートをていねいにしてくださいました。進学先に選んだのは、アメリカのシアトルにある公立大学のショアライン・コミュニティカレッジです。私が好きな映画について研究できる学部があるので、ここに決めました」
この大学に入学するには、英語の4技能検定であるGTECのスコアや、志望動機や高校での活動を英語で記したエッセイなどの書類審査があります。これをパスして飯塚さんは合格を果たしました。帰国後はネイティブ教員による英会話の授業や、カナダのホストファミリーと電話で話すことによってスピーキング力とリスニング力を維持したそうです。
「大学は9月から始まり、寮で生活することになりますが、その前に渡米して語学学校に入り、大学の授業についていけるように英語力を鍛えます。今年の夏休みにはカナダのホストファミリーのもとを訪れて再会できるので、今から楽しみです。アメリカの大学で映画の知識を深め、将来は映画のマーケティングや宣伝に関する仕事に就けたらと思っています」
飯塚さんの担任を務めた古市先生は、次のように振り返ります。
「飯塚さんは人間的にも大きく成長して帰国しました。カナダという異文化に身を置くことで、相手の意見に耳を傾け、自分の考えをしっかりと相手に伝える力も身につけていたのです。スピーキング力も向上し、GTECのスピーキングでは満点を取れました。そして、アメリカの大学に行きたいという思いが以前にも増して強くなっていました。
私は『日本の難関大学に進学して長期の留学してみては?』という提案をしたのですが、彼女は『どうしてもアメリカの大学で学びたい』と真剣な表情で言いました。それ以来、飯塚さんと二人三脚で受験や進学の準備を進めていったのです。私はアメリカの大学に進学するための情報を集め、他校が海外の大学に進学したい生徒のために、どのようなサポートをしているのか調べました。
アメリカの大学で学ぶには、素晴らしい体験だけではなく、さまざまな困難も待ち受けていると思います。それを乗り越える力も糧になるはずです。アメリカでさらに大きく成長し、将来、グローバル社会に貢献してほしいと思います」
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