私がこの学校と最初に出会ったのは、国分キャンパスで行われていた学園祭でした。周囲のネギ畑は牧歌的で、校舎に一歩足を踏み入れた瞬間から「なんて素敵な学校なんだろう」と思ったのを覚えています。すれ違う生徒たちの挨拶は温かく、先生方の雰囲気も穏やかでした。
高校ではバスケットボール部に入部しました。この地区にはバスケの強豪校がたくさんあって、私たちはなんとか県大会に出場したいという思いで練習していました。私はバスケの練習の厳しさに1年のとき、すぐに辞めようと思いました。そのとき「もう少し頑張ろう。あなたがいるから自分も頑張れる」と言ってくれた友達はかけがえのない存在です。
高2で部長を務めたときも、夜中まで部員と電話で話し合い、一致団結して県大会に出場できたのは、励ましてくれた仲間がいたからこそ。女子校って、のびのびと素の自分自身をそのまま表現できる環境がいいと思います。たとえ「変わってる」といわれるような個性でも、「面白いね」と言って受け入れられる環境です。
だからこそ授業でも、「そのクラスでしかできない社会科の授業をしよう」と心がけています。たとえば生徒の発言が間違いだったとしても、「そういう視点もあるんだね」とまず認めます。誰かが間違えたからこそ、周りの生徒の理解も深まるので、一人ひとりの視点や個性は大切にしたいと思っています。
実は、高2まで美容師をめざしていました。小学校時代から憧れていた職業で、オープンキャンパスも美容専門学校に行くつもりでした。そんな私の目を社会科に向けてくださったのが、歴史の先生で、現在の宮﨑康校長先生です。
宮﨑先生の授業は専門性が高く、教科書に載っていない情報も満載で、まるで壮大な歴史物語を聞いているようでした。さらに宮﨑先生に「上野の博物館で開催されている『阿修羅展』はすごいぞ」と勧められて見に行き、よりいっそう日本の歴史に引き込まれていきました。「歴史ってすごい」「もっと学問的に学びたい」と思い、いろいろな先生に相談したところ、本気で歴史を学びたいならと勧められたのが、國學院の史学科です。
受験前、宮﨑先生は毎朝7時から学校に来てマンツーマン指導をしてくださいました。教員になった今、教員には授業以外にもたくさんの仕事があることを実感しているので、「宮﨑先生は私の指導をする時間はあったのだろうか?」と当時を思い返すときがあります。
和洋国府台女子は、私に新しい世界を見せてくれ、将来を決めるほど教育力のある学校でした。「次は100点をとります!」というと、決して見捨てることなく期待してくださいました。生徒の興味・関心をキャッチすれば、必ず最後まで見届けてくださる先生方でした。
その風土は今も昔も変わりません。私も生徒のキラキラした瞳を見るたびに、「私も先生がしてくださったように生徒に寄り添いたい」と心から思います。
「一人ずつ照明を使えるコーナーで、よく受験勉強をしていました」(工藤先生)※約10万部を所蔵する図書館にて。
「コロナ禍で、海外との交流がストップしていましたが、オーストラリアとの交換留学が再開します」と図書館の入り口にいたカンガルーと福岡先生のツーショット。※約10万部を所蔵する図書館にて。