都心にありながら緑豊かな神宮外苑。国立競技場や神宮球場、秩父宮ラクビー場からほど近い場所に国学院高校はあります。開校は昭和23年。入学時にコース制をとっていないので、皆が同じスタートラインに立って高校生活が始まります。この日集まってくださったのは、母校で教鞭を執る4人の先生方。それぞれの高校生活を語ります。
都心にありながら緑豊かな神宮外苑。国立競技場や神宮球場、秩父宮ラクビー場からほど近い場所に国学院高校はあります。開校は昭和23年。入学時にコース制をとっていないので、皆が同じスタートラインに立って高校生活が始まります。この日集まってくださったのは、母校で教鞭を執る4人の先生方。それぞれの高校生活を語ります。
都心の学校に行きたいと思って国学院高校に入学した私は、目の前にあることはすべて面白いと感じていました。行事も授業もすべてが新鮮で、充実した学校生活でした。学校近くの神宮球場ではプロ野球の試合で沸いていましたし、秩父宮ラグビー場で行われる早慶戦は、私に大学生活を垣間見せてくれました。
私が教わった英語の先生は、今も学校にいらっしゃいます。エネルギッシュに授業をする姿が印象的で、私が英語の教員をめざすきっかけを与えてくれました。国学院の英語は受験突破のためではなく、コミュニケーションツールとしての言語教育ととらえているので、「もしも自分が教える立場になったら?」というイメージを抱くことができました。
早稲田大学国際教養学部に進学し、留学を経験したのですが、あるとき道であやしい人に話しかけられて、とっさに「ごめんなさい、急いでいますから」と英語がすんなり出てきてちょっと感動しました。なぜなら、それは高校で教わった英語だったからです。「高校でしっかりと生きた英語を教わってきたからだ」と実感しましたね。
当時の自分に比べると、今の国学院生はいろいろと考えて高校を選択してここにいるのだと思います。たとえば、「卒業までに8~9割が英検2級に合格しているから」「英語教育に熱心だから」という理由で国学院を選んだ生徒もいれば、「将棋の世界で有名な卒業生がいて、将棋会館も近いから」という生徒もいます。
いろいろな希望をもって国学院を選んでくれた生徒たちに私ができることは、夢や希望をかなえるための環境を整えることです。現在、私は進路指導担当ですが、進路指導部の合言葉は、「たくさんの手札をもとう」です。受験が目前に迫ってから、「1年、2年のときになぜやっておかなかったんだろう?」という後悔をしないために、先を見通していろいろなことに挑戦できる環境づくりが教員の仕事です。もちろん、英語力も手札の一つです。もしも手札を使わなかったとしても、「大学のその先で役立つかもしれない」と、そんな思いで取り組んでいます。
現在は1年生のクラス担任を務めていますが、なかには高校受験のために「勉強をやらされてきた」と感じている生徒も多いと思います。でも、進路を決めるのは自分です。勉強は進路を決める手札の一つにもなるはず。そのために2年後、面白いと思って取り組んだ勉強を強力な手札として、進路決定ができる学習環境づくりをしたいと思っています。
私が入学したとき、それまでの詰め襟から今の制服に変わっていて、1年生だけが新しい制服を着ていました。都心の学校らしい“洗練された"制服で、うれしかったのを覚えています。
中学を卒業する頃に、おぼろげながら学校の先生になりたいと思っていましたが、数学の面白さを知ったのは高校生になってからです。現在、入試広報部長を務める谷崎美穂先生は当時数学を担当されており、「数学とは、解答にたどり着くまでの試行錯誤こそ醍醐味」ということを教えていただきました。ですから私が担当する数学の授業でも、途中解答にしっかりと時間をかけて、正解にたどり着くまでの道は一つではないことを教えたいと思っています。
そして、失敗する大切さも教えたいですね。なぜなら私自身、2ケタの掛け算で0点をとったことが、数学に目を向けるきっかけになったからです。数学に苦手意識をもつ生徒には、失敗から学べることの大切さを伝えたいですね。
私は高2の3学期に、東北大震災を経験しました。そのときは卒業式が終わっていて、部活動も午前中で終了していたため学校生活に大きな影響はありませんでした。今の高校生はコロナ禍の影響を強く受けていて、受験や毎日の学校生活にさまざまな制限があります。1年目はスタディサプリ(WEB学習サービス)やプリントで乗り切り、スタディサプリで扱っていない分野は授業動画を配信して補完しました。
いくつかの行事が中止になったり制限がかかったりするなか、生徒たちは自分なりに、あるいは仲間と共に行事や学校生活を楽しもうとしているようです。今年の修学旅行は北海道へ行くので、それぞれが充実したアクティビティを楽しめることを願っています。
今年は高2のクラス担任を務めており、理系の専門科目の選択があります。この段階でまだ将来の目標が決まっていない生徒に、「まず面白いと思う教科は何だろう?」という問いかけをしています。
とはいえ自分の高校時代よりも、「将来はこういうことがしたい」と答えられる高2生が多いという感触をもっています。ただ、目標に向かって立ちはだかる壁を乗り越えるだけのハングリー精神があるかというと、そこは少し弱いような気もしています。与えられたものを受け入れるだけでなく、自分なりに考えて行動できるように導くことが、今の私の目標です。
学校説明会のとき、私は「国学院高校は何かに特化した学校ではないです」とよく話します。勉強に特化した特進クラスや全国的に有名な部活動があるわけではありません。でも、それは部活動でも行事でも勉強でも、自分の好きなことにバランス良く打ち込めるということなのです。すべてに熱中したいというのであれば、それも可能です。
私の高校時代もそうでした。私はサッカーに熱中しながら、将来は社会科の教員になりたいと思っていました。今はサッカー部の顧問を務めているので、受験生から戦績を聞かれることがありますが、「サッカーだけに熱中したいのなら、本校は適さない」と答えるでしょう。部員は1・2年生で70人を超えますが、勉強と部活動を両立させるために本校を選んだ部員は多いと思います。
校風は真面目で穏やかなので、受験生が「この学校なら安心して学校生活を送ることができる」と選んでくれているのを感じます。教員の1割くらいが本校の卒業生で、いい思い出があるからこそ母校に戻ってくるのだと思います。私が入学したときも、ほぼ同年齢の若い先生が8人ほどいて驚きました。放課後に、先生方が楽しそうにバスケットボールをしていたのも印象的です。今も生徒に「先生方は楽しそうだ」と言われるので、それが生徒の学校生活にもいい影響を与えているのではないでしょうか。
本校では、東北・京都・出雲・沖縄への国内研修を実施しています。内容は社会科にかかわることが中心です。私が担当する出雲では、出雲大社とゆかりのある千家家の方に案内していただきます。これは大学に神道文化学部のある本校ならではのプログラムです。東北では中尊寺や津波の傷跡をたどるプログラムも予定しています。授業では学べないことを体験するのが国内研修の目的です。
今は同僚となった倉敷先生が、高校時代の日本史の先生です。社会科の教員をめざしていた私は国学院大学文学部史学科に進みました。高校入学時には思いもしなかった縁が国学院にありました。
国学院高校は学校生活のどこに重きを置くのか、生徒に任されている学校でした。「勉強をしなさい」と言われるまでもなく、疑問をもったら主体的に学習し、質問もします。私は野球部で夜遅くまで練習していました。神宮球場の室内練習場で練習することもありました。野球部は国学院久我山・国学院栃木高校ともかかわりがあり、年2回くらい定期戦をしていました。
高校時代は教員になろうと考えたことはなく、大学でもずっと野球に打ち込んでいました。縁あって本校の教員になってから、もっと教育学について勉強したいと思い、早稲田大学大学院教育学研究科で学校教育を専攻しました。
今の国学院高校も、将来の目標をどこにおくのか、どんな学校生活を送るのかは生徒の主体性に任されていますが、進路指導はよりていねいになっていると思います。飯塚先生や山本先生たちは、自身が受けたのと同じように、生徒に指導しているのではないでしょうか。
本校では進学実績を出すためのコース制を敷いていません。2・3年生ではハイレベルな受験指導をする「チャレンジクラス」がありますが、こちらも自分で選ぶクラスです。「もしも『特進クラス』のような名前がついていたら、自分はチャレンジクラスを選ばなかったと思う」という卒業生もいます。
本校の多くの卒業生が採用試験を受けます。それぞれ母校に戻りたい理由があるのです。何かに特化した学校ではないということは、高校時代に感じていた学校の魅力が一人ひとり違うからではないでしょうか。だからこそ、いろいろな方向に向くことができるのだと思います。
特進クラスがあると、学習成績ばかりがクローズアップされがちですが、国学院にはそれがないので誰もがいろいろな場面で主役になれます。生徒一人ひとりにやりたいことがあって、特性も特徴も違うので、“こうあるべき"と決めつけないことが国学院のポリシーなのだと思います。
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