修学旅行実行委員長の米長海斗さん。「最初から最後まで委員のみんなが頑張ってくれて、うれしかったです」
ひめゆりの塔。事前学習とは違う“目に見えるもの”で現実を実感。
普天間基地。市街地に位置するため、「世界で一番危険な基地」と言われています。
美ら海水族館。リフレッシュできる場所になりました。
エイサーを観覧。実際に体験した生徒もいました。
読谷村での離村式。名残惜しさはこのときが最高潮。
「高校3年間は大人になるための準備期間。幅広い体験を通して視野を広げてほしい」という原健校長先生の言葉を実践する大きな取り組みが、沖縄修学旅行(高2対象)です。
今回の旅のスローガンは『いちゃりばちょーでー ~学ぶ平和、つながる心、沖縄で家族になろう~』です。
「『いちゃりばちょーでー』とは“一度会ったらみんな家族"という意味です。沖縄では4~5人のグループで各家庭に民泊し、平和について学びながら、思い出に残る修学旅行にしようという思いを込めました」と修学旅行実行委員長の米長海斗さん(普通コース3年)は話します。
初日はひめゆり資料館、平和祈念公園を訪れ、2日目は美ら海水族館を観光。その後は戦時中、実際に沖縄の人が退避していたガマを訪れ、読谷村の民泊先へと向かいました。平和学習のプログラムに先がけ、生徒たちは2年生の春から1年弱、事前学習を実施。沖縄戦の推移や日本史の流れのなかで“沖縄の在り方"などを学び続けてきました。そのため「いろいろな知識をもって現地を訪れたので、実際に目にした際に受ける印象がとても強かったように感じられます」と米長さんは振り返ります。
「事前学習を通して亡くなった人の数は聞いていましたが、『ひめゆり資料館』で亡くなった全員の顔写真を見ることで実感がわいてきて……。自分と年齢の近い人ばかりだったので、すごく印象に残っています」
また、民泊先の方に嘉手納基地へ連れて行ってもらったのですが、ちょうどウクライナでの戦争が起き始めた時期で、『戦争が起こったから戦闘機がこんなに数多く飛んでいるんだよ』という言葉を聞いたとき、正直に言えばウクライナでの戦争は自分たちには関係ないものと思っていたのですが、沖縄がこうした形で戦争にかかわっていることを考えると、無関係ではないのだと実感しました。
旅のスローガンのひとつである『学ぶ平和』がこのようにして生徒の心に刻まれていく一方、「やっぱり民泊も良かったです」と話す米長さん。「家の方が三線を練習しようと言ってくださって、メンバーと一緒に弾いたことが印象に残っています」というように、民泊は終わってみれば大好評でした。とはいえ、実はこの修学旅行、実施されるまでには紆余曲折がありました。その障壁となったのは、やはり新型コロナウイルスです。
「もともとは2021年11月に実施予定だったのですが、コロナ再拡大もあって2月に延期。さらに3月に延期となりました」(中富光佑先生)
米長さんいわく「長かったです。実行委員のみんなと準備を続けていくなかでも『本当に行けるのかな?』という不安が募りました」
先生方もそんな生徒の心の声を感じることも多かったそうです。
「最初の延期時点で、生徒からすれば『延期ではなくて中止でしょ?』『やっぱり行けないんだね』となりますよね。そんな状況下でプランニングを続けるところが、実は一番大変だったかもしれません」(中富先生)
それでも実施を決めたのは、生徒たちの「本当に行きたい」という気持ちに突き動かされたからでした。
「今の3年生は、入学式すら行えなかった学年なのです。行事もほとんど経験できず、ずっと我慢の学園生活だったので、修学旅行だけは何としても行かせてあげたいという思いでした。
とはいえ、「現3年生にとっては丸2年間、マスクなしでの会話経験がほとんどないような状態だったので、まず寝食をともにするということ自体、かなりハードルが高いものでした。プログラムにしても、例年実施していた戦争体験者の講演会やダイビングといったアクティビティはできませんでしたが、それでも最高の思い出がつくれる修学旅行にしようと教員間で話し合ってきました。その結果、日を追うごとに生徒たちのなかで楽しさが増し、旅が終わる頃には笑顔があふれ、『あっという間だった』と言いながら東京に帰ってきてくれたのです。いろいろありましたが、本当に実施できてよかったです」(杉中佑砂先生)
中富先生も口をそろえます。
「修学旅行を通して、いろいろな制限に悩まされてきた学年の生徒同士がつながって、お互いを知るためにずっと一緒に行動すること自体が、この旅の要だったのです。それを教員も一緒になって体験できたことは大きかったですね」
同校の教育目標は“人と人とのつながりを大切に、ともに学び成長し合う"こと。コロナ禍という厳しい状況下にあって、学園の門をくぐった生徒たちが紆余曲折を経てたどり着いた高校生活一度きりの修学旅行は、一生涯忘れることのない旅となったに違いありません。
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