花咲徳栄高等学校の敷地は東京ドーム3個分、プラネタリウムや室内温水プール、ボクシング場や体操専用の練習場など、すべての運動部が一斉に練習できる運動施設を完備、大学入試対策センターやサテライト教室など、学習をサポートする施設も充実するキャンパスには、さまざまなことに熱中する生徒たちがいます。学び舎からそれぞれの道に巣立った卒業生の中には、母校で教鞭を執る先生方も数多くいます。今回は卒業生である3名の先生が、それぞれの花咲徳栄を語ります。
花咲徳栄高等学校の敷地は東京ドーム3個分、プラネタリウムや室内温水プール、ボクシング場や体操専用の練習場など、すべての運動部が一斉に練習できる運動施設を完備、大学入試対策センターやサテライト教室など、学習をサポートする施設も充実するキャンパスには、さまざまなことに熱中する生徒たちがいます。学び舎からそれぞれの道に巣立った卒業生の中には、母校で教鞭を執る先生方も数多くいます。今回は卒業生である3名の先生が、それぞれの花咲徳栄を語ります。
私の入学当時、花咲徳栄高等学校には『医歯薬コース』が設置され、幅広い進路をサポートする態勢が整った頃でした。私は薬剤師をめざしていたので、高校3年間でしっかりとした学力を身につけて夢を実現しようと志していました。ひたすら勉強していた3年間ですが、硬式野球部の応援を経験できたのは、花咲徳栄だからこそです。
医歯薬コースは現在、『普通科アルファコース』の『理数選抜クラス』となって、0時限から放課後の7・8時限授業、土曜日の3時限授業が設定されて、5教科7科目の力をつけるカリキュラムです。
教師になろうと決めたのは、大学時代のアルバイトで塾講師を経験したとき。教育実習で母校に戻ったとき、私が教わっていた先生方が情熱を持って教育に取り組む姿を見て、「この学校の一員になりたい」と思ったのです。私は薬剤師になる夢を諦めて理学部を選んだ経緯があったので、後輩たちの夢をサポートしてかなえさせたいという気持ちもありました。
2020年は高3の理数選抜クラスの担任を務め、コロナ禍で初めての休校を経験しました。受験に臨む学年ですからとても心配になりましたが、オンラインで行う小論文の添削など、新しい取り組みで対応し、彼らを受験に送り出しました。思った以上の結果が出たときはほっとしました。
教師にとって「授業を受けて、わからなかったことが理解できた」と言ってもらえるのが一番うれしいことです。卒業式のとき「化学の授業が一番楽しかった」と言って巣立って行った生徒のことは忘れられません。教師として10年が過ぎた今は、教員になった教え子を同僚として迎える新たな喜びがあります。
兄が通っていた花咲徳栄は、硬式野球部が強いイメージでしたが、ボクシング部やレスリング部もインターハイ出場の常連組です。指導者が常にスキルアップしていて施設も整っているので、すべての部活動が活発です。
私も塚本先生と同じく医歯薬コースに入学しましたが、部活動で活躍するクラスメートもたくさんいました。当時の生徒会長は硬式野球部で、部活動と勉強を両立していました。高校に入ったら一生懸命に勉強しようと決めていましたが、気づくと部活動に熱中していました。
私が母校に戻ってきたのは、在学中も所属していた「競泳部の顧問になりたい」と思ったからです。競泳部の監督は、日本代表のコーチとして、海外遠征のヘッドコーチの経験もある先生です。顧問を務める今、一緒に働くことになった恩師の仕事は、ただ単に競泳指導をするだけでなく、大会エントリーの手続きをこなし、部員の状態を見ながら練習メニューを考えるなど、細かい配慮の連続だったのだと気づきました。私も今年は日本水泳連盟の指導者の資格を取得して、より専門的な指導をめざします。
国公立大学受験に本格的に向き合ったのは高3になってからです。それまで部活動に使っていた時間をすべて勉強に注ぎ込み、受験に必要な化学は塚本先生にとてもお世話になりました。一人ではとうてい志望を実現できなかったと思います。
花咲徳栄は、部活動も勉強も頑張ることができる学校です。もしも自分に何が向いているのかわからなくても、いろいろなコースがあるので、入学してからいくらでも将来の道を見つけることができます。私も高校在学中に、やりたいことがたくさん浮かんできました。勉強ばかりの高校生活ではなかったからこそ、充実した今があると思います。
高校2年のとき、夢は弁護士になることでした。それは社会的なイメージだけで思い描いていた夢でした。3年でアクティブラーニングの授業を経験したとき、友達とディスカッションしたり、教え合ったりすることの楽しさを知り、教師をめざしました。普通科科長で数学科の髙橋晃一先生に、徹底的に鍛えられたことも一つの理由です。
私は文系のクラスにいたので、数学は得意な科目ではありませんでした。髙橋先生の数学の授業もアクティブラーニングで、私は毎時間、グループワークをして出た答えを発表する役割を担っていました。気づくと数学が好きになっていて、今は数学科の教員として髙橋先生と一緒にティームティーチングをしています。髙橋先生は数学好きな生徒をさらに数学好きにする先生。私は数学が苦手な生徒の気持ちがわかるので、そんな生徒を引っ張っていく役割です。
高校在学中は生徒会副会長を務めていました。文化祭を盛り上げたくて、正門に風船のアーチを作ったのも私たちの代です。「あの頃から文化祭の装飾が華やかになったね」と言われるのはうれしいことです。生徒会は生徒主体で出したアイデアを提案する組織でした。特別選抜クラスから4人の役員が選出されて、よく一緒に勉強もしていました。
私が2年のとき、硬式野球部が甲子園に出場しました。全校応援が決まって、バスで甲子園に駆けつけたときの興奮は忘れがたい思い出です。それから6年連続で甲子園に出場を決めた花咲徳栄は、硬式野球部員でなくても甲子園に行ける学校です。
在学中、硬式野球部員は学校の顔とも言える遠い存在でした。ドラフトで同級生が上位指名されたときに、少し身近に感じたくらいです。でも教員になって野球部員を教えると、彼らがいかに真面目に勉強し、部活動と両立させているのかを知りました。
花咲徳栄で活躍するのは運動部だけではありません。吹奏楽部やバトン部は全国大会の常連ですし、和太鼓同好会や百人一首同好会など特色ある文化部もあります。書道の経験がある私が、これから顧問を務めるであろう書道部は、全国書き初め展で活躍する部活動です。
広いキャンパスでいろいろなことに熱中する生徒がいる花咲徳栄に、教師として着任した今、生徒の多様な要望に応えられる教員をめざします。
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