参加してくれた卒業生(左より)
辻村 茉奈伽さん (つじむら まなか)
中高時代はバスケットボール部に所属。武庫川女子大学教育学部教育学科に進学し、
幼少のころからの夢である小・中・高の教員免許取得を目指す。
澤 まりさん (さわ まり)
中高6年間を通して書道部に所属。大好きな書道を学びながら、
国語科教諭の資格取得を目指す場として、武庫川女子大学文学部日本語日本文学科に進学。
伊勢 菜砂さん (いせ なずな)
中学では茶道部、高校では地理部。法務教官に必要な心理学を学ぶべく進学した
武庫川女子大学文学部心理・社会福祉学科で社会福祉学に出会い、進路転換を決意したそう。
髙見 知代さん (たかみ ともよ)
京都教育大学教育学部教育学専攻。中高時代は地理部。中3の時、地域の子どもたちに勉強を教える
ボランティア活動に参加し、子どもたちを取り巻く現状を知ったことが、教員を志すきっかけに。
社会を生き抜くたくましい女性の育成を目指す武庫川女子大学附属中学校・高等学校。中高6年間を共に過ごし、高2から高3にかけて常任委員会(生徒会)も務めた現在大学1年生の卒業生4名に、同校の魅力や思い出、そのなかでの成長、今後の目標について語ってもらいました。
皆さんがこの学校を選んだ理由を教えてください
辻村さん
幼稚園の頃に「先生になりたい!」という思いが芽生え、小6のときには、「武庫川女子大学教育学部に進学したい」と具体的に考えていたので、ごく自然な流れで入学しました。
伊勢さん
小学生のとき、バレリーナになることが夢でした。大学附属校なら、その実現に思う存分力を注ぐ時間があると感じたことが理由です。
髙見さん
小学校時代の習い事で、下級生に厳しい先輩がいたのですが、その先輩が武庫川女子に入学してから、思いやりを持って接してくれるようになったことが、興味を持ったきっかけです。オープンキャンパスで訪問したときに素敵な校風だなと感じ、ここに決めました。
澤さん
小学生のときに習っていた書道を、中学でも続けたいという強い思いがありました。書道部がある学校は多くありますが、この学校を実際に見て、自分に合う雰囲気だと感じたことが決め手になりました。
中高時代に力を注いだことは?
澤さん
入学時から部活動を頑張りました。特に印象に残っているのは、高2での全国高等学校総合文化祭。書道部は人数が多いので、そこに出品できるのは各学年1名のみ。さらに県内で10位以内に入らなければ全国には挑戦できません。「絶対に出品する!」という思いで臨み、先生と部員による投票で学年1位に選んでいただきました。最終的に全国6位の賞をいただき、本当にうれしかったです。そして先生や友だちと関わっていくなかで、自然と「勉強も頑張ろう」と思うようになりました。
辻村さん
私も勉強と部活動の両方を頑張りました。武庫川女子大学進学という明確な目標がありましたし、もともと勉強は好きだったので、両立で苦労することはなかったです。むしろバスケットボールがあったからこそ、生活にメリハリができて勉強も頑張れたのだと思っています。
伊勢さん
私は中1のとき、反抗期真っ只中で、勉強に対しても不真面目だったことを覚えています(笑)。でも中2の時のクラスの委員長が澤さんで「宿題持ってきた?」「日本史のテストはここを押さえるといいよ」など、いろいろ気にかけてくれて。澤さんは成績も上位で、刺激になる存在でした。その頃に、「法務教官になりたい」という目標ができて、自分の中に変化が起きた気がします。
髙見さん
中1でクラス委員長に任命され、全学年の委員長・副委員長が集まる会議に参加したことが、私にとって大きな転機になりました。全体を見て行動される常任委員会(生徒会)の高3の先輩方がキラキラと輝いて見え、「私もこんなふうになりたい!」と思ったんです。自分も常任委員会のメンバーになりたいと決意し、6年間、委員会活動一筋。高2の秋に常任委員会の代表になり、目標を達成することができました。
皆さんが密接に関わったのが常任委員会なのですよね
髙見さん
高2の11月からの1年間です。学校運営を担う組織で、各委員会の委員長を含む9名で構成されます。
辻村さん
髙見さんが代表、私が副代表、澤さんと伊勢さんが書記でした。
澤さん
まずは学校目標を設定するところからスタートしたよね。
髙見さん
全学年の委員長などにアンケートを行った結果、「皆で創り上げる学校」という方向性が見えてきたんです。そこで“共鳴”を学校目標とし、その実現に向けて、「一人ひとりが自立する」「自立した個人が結びつきあう」「結びつきあって考動する」という3段階の行動目標を決めました。一番大きな仕事は春の『武庫川フェスティバル』(文化祭)。秋から準備を進めていましたが、新型コロナウイルス感染症の影響で臨時休校になってしまって…。
伊勢さん
私たちなりのカラーを反映した武庫川フェスティバルにしたくて、4カ月かけて計画を練り、分厚い企画書を仕上げたんです。それを一から作り直すことになってしまい、ショックでしたね。
髙見さん
何より、「皆で創り上げる学校」を実現する場がなくなってしまうことが悔しくて…。実施できるかどうかがはっきりしないなかでも、臨時休校中から、オンラインで「自分たちにできることは何か」を話し合っていました。
澤さん
常任委員会のメンバー皆で、オンライン会議も行いました。
髙見さん
9月の開催が決まってからも、早朝や放課後、毎日のように話し合いを重ねました。休み時間には職員室に行き、先生方にさまざまな意見をうかがい、それを企画に取り入れて練り直し、説得するという感じでしたね。
コロナ禍での武庫川フェスティバルに向けての役割分担は?
澤さん
「どうしたらいいんやろう」って煮詰まったときに、アイデアを出してくれたのは、伊勢さん。
髙見さん
そうそう。「そういう見方があったんだ!」って気付かせてくれる存在でした。しかも議論の流れを乱さないように、ここぞというタイミングで言ってくれていたよね。
伊勢さん
私の思いつきを持ち帰って、実現するための方法論を考え提示してくれたのが、辻村さん。
辻村さん
私は期限までにこなすことが苦手で、髙見さん、伊勢さんも細かいことは苦手。だから澤さんが全体のスケジューリングをしてくれて。
伊勢さん
先生への根回しとか、記録とかもカバーしてくれていたよね。髙見さんはまさにマネージャー。話す中で軸がぶれても引き戻す、“磁力”のようなものを持っていました。
髙見さん
皆熱意があるぶん、方向性がぶれてしまいがち。「目指すのはここだよ」と示すのが自分の役割だと思い、意識していました。成し遂げることができたのは、準備に携わった全員の協力があったからこそだと感じています。
充実した6年間を通して成長したと感じるところは?
伊勢さん
尖っていた私が大きく変わったのは中3のとき。先生が寄り添ってくださり、周囲の気持ちに配慮することができるようになりました。反抗的だったのも、変われたのも、先生と生徒の距離が近いアットホームな雰囲気だったからだと思います。辻村さんは、限界になって泣いてしまうこともあったけど、今はもう、一人で泣くことはなくなった?
辻村さん
以前は苦手なことやできないことなど、人前で弱みをさらけ出せないタイプで、表面的な付き合いをしていたように思います。でもこの学校では、先生や友だちが、私の話に耳を傾けてくれる。そのなかで「弱みを言ってもいいんだ」と思えるようになったんです。人に頼ることができるようになり、個々の長所に目を向けて、広く深く、つながることができるようになりました。
髙見さん
仲間の大切さに気づいたことと、周囲に感謝できるようになったこと。特に常任委員会の活動を通して、一人では辛いことも、皆で力を合わせれば乗り切ることができるのだと、実感することができました。
澤さん
私も視野が広がったと感じています。正しいことは一つで、全員がそれを目指すべきだという考えでしたが、それはあくまで私の個性。「人にはそれぞれの意見や個性があるんだ」と考えられるようになったことが、一番の成長だと感じます。
思い描いている夢や目標を教えてください
辻村さん
この学校の先生方は、授業だけではなく、忙しくても私のために時間を作り、いろいろな話をしてくださり、私の話も聞いてくださいました。それが今の私の理想の教員像。生徒のことを第一に考えられる教員を目指します。
髙見さん
一人ひとりの生徒のありのままを受け止め、認め、可能性を伸ばすことができる小学校教員になること。その実践を通して、中高でお世話になった先生方に恩返ししていきたいです。
澤さん
ここで過ごすうちに、人と関わることが大好きになったことがきっかけとなり、教員を目指すようになりました。先生方や友だちがそうであったように、人の心に寄り添える人になりたいと考えています。
伊勢さん
今大学で学んでいるなかで、社会福祉に対する興味が高まっています。目下の目標は、社会福祉士と精神保健福祉士の資格を取得すること。いつか大好きな宮城県で、ソーシャルワーカーとして地域に貢献しながら、暮らすことが夢です。