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進学通信

2022年3月

この記事は1年以上前の記事です。

教育問答
「開智らしさ」「学校らしさ」とは何か
その視点で選ばれる学校に

プロフィール
髙松 雅貴 先生
1969年生まれ、大阪府出身。1994年、開校2年目の同校に着任。
新設校だった同校の変遷に立ち会う中で、「開智らしさ」とは何かを追求する教育観を抱くようになる。
月10冊は必ず本を読む読書家。さらに「宗雅」の号を名乗る茶人でもある。

みなさんは学校選びをするとき、何を重視しますか? 大学進学実績でしょうか? もちろんそれも大切な要素の一つでしょう。しかし、そこだけで判断していいのなら、実績さえ同じであれば、どの学校でも一緒だということになってしまいます。開智中学校・高等学校の髙松雅貴校長は、「その学校が自分に合っているか」を大切にしてほしいと言います。その真意をお話しいただきました。

公開日2022/4/12
開校30周年を控え
「開智らしく」なってきた

令和4年度、いよいよ開校30周年。これを目前に、「本校はずいぶん開智らしくなってきた」と表現された言葉が印象的です。この意図をお聞かせください。

「開智らしさ」とは「開智で学んだからこそ伸びた」と言える学校であることです。本来、学校とはそうあるべきですし、特に私学であればその意義はさらに重くなります。建学の精神や教育理念に基づき、それぞれの学校が自分たちの理想とする教育を追求しているのですから。
 学校と生徒の「マッチング」と言えばよいでしょうか。学校が目指す教育や提供できるものと、生徒・保護者が望むもの、この両者にどれだけ差異がない環境をつくれるかを重視しています。ここがしっかりかみ合えば、縁あって入学してくれたすべての生徒が伸びる学び舎になれるはず。近年、その手応えを強く感じるようになり、「開智らしくなってきた」と表現したのです。

なぜそうした「マッチング」を大切にするようになったのですか?

 長い歴史を持つ伝統校と比べると、本校はいわゆる「後発校」です。私が着任したのも、開校2年目のことでした。後発校がゆえに、生徒数確保という現実的な視点をより重視しなくてはなりません。若かった私を含めて学校全体が、「受験生や保護者から選んでもらえる学校」にするために、必死で取り組んできました。そうなるためにはまず、大学進学やスポーツで実績を上げることを目指したのです。
 事実、開校当初はとにかく学習量を重視し、とことん勉強を“やらせて”きました。予備校さながらに、映像教材も取り入れていた時期もあります。その結果として、京大や医学部といった最難関クラスへの進学者も輩出するようになりました。
 しかし、次第にこんな本質的ジレンマも抱くようになっていたのです。「同じ教員から同じ授業を受けても、同じ教材を使っても、結果には差が出てしまう。なぜだろう」と。
 おそらくそれは、本校だけに限ったことではないでしょう。有名な進学校に入学しても、意外に伸び悩んでしまう子もいますよね。そこに学校選びのミスマッチがあると感じたのです。
 特に本校は、伝統ある進学校や公立トップ校の併願校として選ばれることが多い立ち位置です。必然的に、学力的には伸びしろのある生徒たちが多くなります。
 だからこそ、彼らをいかに伸ばせるかが何よりも重要で、そうした相対的な結果こそ、生徒や保護者が本校に期待するものであるはずです。表面的な合格実績だけを追うのではなく、もっと一人ひとりの個性や目標などに、本校ならではの教育内容で応えていくべきではないかと。この姿勢を前提として、本人が望むのであれば、選択肢の一つとして東大や京大にも挑むことができる、生徒にも保護者にも選ばれる……そのようなあり方を目指しました。それが健全なマッチング、「開智らしさ」であり、「学校らしさ」です。

生徒や保護者の学校選びの価値観が画一化しているのでしょうか。

 そういう部分もあるかもしれません。大学合格実績などの偏差値で輪切りされた指標だけで学校を選ぶのではなく、建学の精神や教育理念・教育目標などを重視してほしいと思います。
 特に、本校を含む中高一貫校であれば、一度そこに入学してしまえば原則として6年間を過ごすわけです。合わなかったからと言って、途中で学校を変わるのは簡単なことではありません。だからこそ私たちも、もっと「らしさ」を追求し、伝えていく必要があるはずです。

後悔と反省が
学び直すきっかけに

では、一人ひとりが伸びる、「開智らしさ」をつくっていくために、取り組まれたことは?

 まず、私自身が教育手法を学び直しました。
 元来、教育とは生徒と教員の「対話」の中で起こるものだと思います。私も30代前半くらいまでは、情熱だけで生徒と向き合ってきました。もともと実践知を大切にしていて、机上論や評論のようなものがあまり好きになれなかったのです。
 それでも生徒たちはそれなりに伸びましたし、比例して学校組織における私の評価も上がっていきました。それは当時の私にとって、とても高揚感のある日々だったと思います。でもあるとき、ふとこう自問することがありました。「じゃあ私は、すべての生徒を伸ばせているのか」と。
 私は英語科教員ですが、もともと英語という教科が好きな生徒や、私のことを慕ってくれる生徒は伸びていても、その他の生徒はどうなのか。事実、宿題でたった3回の音読さえやってこない生徒もいました。
 これは先ほど申し上げた「ミスマッチ」とも関連するのですが、本当は伸ばしてあげられたはずなのに、それができていなかった生徒もいたのが現実でした。よく「あの頃に戻ってもう一度……」などと言いますが、生徒の中高時代に「もう一度」はありません。都合よく教え直すことなどできないのです。
 それに気づいたとき「このままではいけない」と猛省しました。そこで、大学院で言語教育学全般を学び直し、成果が出ている実践の背景理論を知り、科学的知見に基づいた指導に取り組むことで、理論と実践の往還を経験しました。

その学びは、一人の教員としてのご自身にどのような変化をもたらしましたか?

 たとえば仮説を立てて実証するなど、教育活動を科学的に見ることができるようになったのは大きいです。これまで感覚や経験則に頼りがちだったものが、具体的手法として、論理的に納得できる感覚でした。
 当初、本校が力を注いでいた学習の量よりも、工夫、すなわち「学び方」や「学ぶ意欲」が重要であることもよくわかりました。
 もちろん、その気づきを個人的なものにとどまらせず、いかに本校の教育に合うように落とし込むかが大切です。そこから少しずつ、改善を進めていったのです。

それが「開智らしさ=学校らしさ」を生み出していくわけですね。

 そうです。「学び方を学ぶ」ことはずっと追求してきましたが、より強く意識するようになりました。先ほど、私自身の経験も交えて「同じ教員の同じ授業を受けても、結果は違う」と申しましたが、それはやはり一方的な知識の伝達だけでは不十分で、生徒たちが「学び方」を知らなかったからだと思うのです。そして自分に合った学び方は、一人ひとり異なります。ここが重要です。
 今でこそ「学びの個別最適化」という言葉がよく聞かれ、学習手帳などを用いた自己管理能力を重視する学校も増えてきましたが、本校ではかなり以前から手帳を活用してきました。さらに自習スペースや教員への質問コーナーも設けて「できるようになるまで教える」ことを徹底しています。
 また、本校はベルリッツの英語授業を導入しています。導入校自体は全国に多数ありますが、本校のような活用方法を行っている学校はあまり見かけません。具体的には、クラスを10人前後のグループに分け、授業には担当教員も関わるようにしています。理論的にも、それがオーラルの言語習得に最適な人数構成であるという判断からです。
 ベルリッツの教材は確かに優れたカリキュラムですが、ただそれを導入すればいいというものではありません。「本校らしさ」を念頭に最適化することで、さらにその効果は高まります。ちょっとした工夫ですが、こうした取り組みや、決して見放さないという安心感こそが本校らしさであり、生徒一人ひとりを伸ばす土台になってきたのだと思います。
 確かに「勉強は(誰かの力に頼るのではなく)自分でやるものだ」「(大人が)手をかけすぎなのはどうか」という考え方もあるでしょう。もちろんそれを否定する気はありません。しかし、それこそマッチングだと思うのです。本校はそうした手厚さを提供したいですし、それを求める生徒がいる。それが合致するからこそ、一人ひとりが伸びるのだと信じています。

教育目標を改訂し
具体的な行動事例に言語化

一昨年、教育目標を改訂されたそうですね。これも、「開智らしさ」が醸成されてきた結果でしょうか。

 はい。「知」「徳・体」「個性」「国際理解」「自己実現」という5項目で構成されており、それを細分化した具体的な10の観点を盛り込んだものに変えました。
 教育理念や教育目標は、ともすれば抽象的になりがちです。たとえば「マナーの良い人になろう」と掲げて生徒にそう伝えれば、生徒のマナーが向上するわけではないですよね。「マナーが良い」とは、ゴミが落ちていたら拾うとか、あいさつがきちんとできることだとか、具体的な行動を言語化して伝えなければいけません。
 本校の教育目標においても、何がどこまでできる状態を目指すのか、それを具体的に示したということです。目指すものを教育目標にきちんと落とし込まなければ、「本校らしさ」をふまえて生徒一人ひとりがどれだけ伸びているか、検証もできませんから。ここについては、今後さらに4~5年をかけて、整備していきたいです。

「自分らしさ」を知り
後悔のない学校選びを

少しずつ「開智らしさ」が出てくるなかで、生徒にはどのような変容や成長が見られるようになりましたか?

 以前に増して、「もっと学びたい」「もっと成長したい」という気持ちを、生徒たちから感じるようになりました。本来、子どもたちは何でもできますし、何にだってなれる存在です。ところが生徒本人も、保護者も、この普遍の可能性に気づいていない方が非常に多いような気がします。「自分が成長できる」ことを実感できていないから、なかなか芽が出ないのではないかと思うのです。
 そのために、学校だけですべてを解決できるわけではないでしょう。しかし、解決できることもあります。私は、そのステージが本校であったらいいなと願うのです。

だからこそ、「らしさ」や「マッチング」なのですね。

 そう思います。常に他者と比較され、誰がどの大学に行ったとか、どちらが優れているかとか、他人軸の価値観のなかで生きていても幸せにはなれません。比較するのなら、「過去の自分からどれだけ成長したか」に視点を置けばいい。それができるのが本校だと自負しています。
 また、単に知識やスキルの習得だけが目的なら、インターネットでも学ぶことはできるでしょう。自己完結しようと思えばできる時代なのです。誰もが同じコンテンツで学び、同じ結果を出せる……それはそれですごいことですが、私はそれを「学校」と呼ぶには、違和感が残ります。そういう意味で、本校は本当に「学校らしく」なったということです。
 なぜその学校に通うことを選ぶのか。受験生や保護者のみなさんには、どうかそこを見つめていただき、ご自分にマッチした学校選びをしてもらえたらと思います。