
昭和19(1944)年生まれ、千葉県木更津市出身。千葉大学文理学部を卒業後、千葉県の県立高校で数学の教員を務める。平成13(2001)年、千葉県立木更津高等学校の校長に就任。平成15(2003)年10月から16年(2004)まで千葉県高等学校長協会会長を務める。平成17(2005)年に愛国学園大学附属四街道高等学校の校長に就任。平成29(2017)年秋の叙勲で瑞宝小綬章を受章。
本学園の創立者は、織田小三郎・淑子両先生です。両先生は昭和初期に東京麻布の龍土町で印刷出版業を営んでいました。しかし、世の中が戦争に向かって進み、紙などの統制が厳しくなってきたため、継続の困難さを感じて店をたたむことにしたのです。
両先生は現在の愛媛大学出身で文学を愛好していました。とくに小三郎先生は、本学園で学習に力を入れている松尾芭蕉の研究者でした。そこで、故郷の愛媛県に帰って晴耕雨読の生活をしようと思い、印刷出版業で蓄えたお金を国に寄付しようとしたのです。
当時、財を成した人たちには、軍に飛行機を献上することが奨励されていました。飛行機の名は『愛国号』と定められています。両先生も当初は多少の貯蓄したお金をこの飛行機のために役立てようとしました。しかし、飛行機は兵器であり、撃墜されればそれで終わりです。両先生は本当に国を愛し、日本の将来を考えるならば、平和に貢献できる女性の人材育成に投資したいとの結論に至りました。
当時は多くの男子が兵隊として戦地に赴いている状況もあり、両先生は次の時代を担うのは女子だと確信し、女子教育のために30万円を寄付したのです。当時の30万円は学校を建てることができるほどの金額でもありました。
昭和13(1938)年に織田教育財団を設立し、翌年の昭和14(1939)年、東京都江戸川区小岩に本学園の前身となる愛国女子商業学校を創立しました。いつの時代でも、誰であっても、自分が生まれた国を大切にする心を忘れないでほしい。その思いを、この校名に込めたそうです。
愛国女子商業学校は戦後の学校改革によって、昭和22(1947)年には中学校に、翌年の昭和23(1948)年には高等学校になり、現在に至っています。なお、本校の前身は、昭和55(1980)年に産声をあげた愛国学園短期大学附属四街道高等学校です。