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進学通信

2026年7月

教育問答
自分で考え、自分で決めよう。答えは常に生徒自身の中にある

公開日2026/8/24
立命館守山中学校・高等学校
校長 岩崎 成寿  先生

1965年生まれ、群馬県出身。立命館大学卒業。高校時代の国語の先生に強い影響を受け、教職を志す。宇治学園(現・立命館宇治)に国語教員として奉職も、後の立命館との法人合併で母校に戻ることに。法人勤務の後、2019年より立命館守山に勤務、2024年より校長。趣味は仏像鑑賞とギター。

名門・立命館の一員として、滋賀県下でも屈指の人気校として知られる立命館守山中学校・高等学校。その姿勢は、現状の教育への問題提起と挑戦にあふれています。画一的な教育や大学受験偏重への課題意識のもと、生徒が“自ら動く力”をどう育てるのか。そのカギは、まさに教育の本懐・原点を突く思想にあります。岩崎成寿校長のお話から、具体的な教育実践と理念に迫ります。

画一的な教育への疑問と学ぶ目的の本質

現在の中等教育全体を俯瞰しての所感をお聞かせください。

 大きく、二つの課題があると感じています。一つは、教育の仕組みが画一的であるという点です。同じ年齢の子どもたちが、同じ教室、速度で、同じカリキュラムで学ぶ。この形は、わが国の公教育において長く続いてきたものですが、すべての子どもにとって適した環境かと言えば、必ずしもそうではないでしょう。不登校生が12年連続で増加しているのも、その表れの一つではないでしょうか。制度疲労を隠し切れなくなっていると思うのです。 

 実際には、子ども一人ひとりで興味・関心は大きく異なりますし、学習の進み方にも差があります。得意なこともあれば苦手なこともあり、発達上の特性を抱えている子もいれば、特定分野に極めて優れた才を示す子もいるでしょう。多様な個性があるなかで、皆で一緒に同じことを学ぶことを求められると、どうしても無理が生じてしまいます。その結果として、学びに対して苦しさや違和感を抱く子どもが出てきてしまう。この構造そのものが課題ではないかと考えています。つまりはシステムの問題です。

 もう一つは、学びの目的が大学受験やペーパーテストの突破に矮小化されている点です。本来、学びとはもっと自由で、もっとワクワクするものであるはず。何かを知りたい、確かめたい、知識を深めたいという気持ちが自然に生まれ、その先に学びは広がっていきます。しかし現実には、「点数を取るため」「合格するため」という目的が前面に出てしまい、本来の学びの姿が見えにくくなっているように感じるのです。
 先ほどの「学びの画一性」にも同じことが言えます。受験やペーパーテストの点数が第一義となり、それに向けた画一的な学びの中に子どもたちを閉じ込めているとは言えないでしょうか。

なぜそうなってしまったのだと思われますか?

 時代背景と社会の要請が大きいと思います。産業革命以降の、効率性重視・生産性重視の時代においては、皆が同じことを同じようにできる教育が求められました。国民の基礎リテラシーの底上げが必要で、それこそが正しい教育という考えだったと言えます。当時はそれでよかったのでしょう。
 しかし、現代社会は不確実で未来の見通しもわからない時代です。社会が変化したのに教育の仕組みや枠組みがアップデートできていない、これらは、日本の教育全体の大きな問題点であると考えます。

対話と合意形成を通して育てる「自ら解決する力」

そこで学校が担うべき役割とは何でしょうか。

 学校でなくとも、いつでもどこでも学べる時代になりました。私は健康のためにランニングをしているのですが、走り方を学ぼうと思えば、動画サイトを検索すればいくらでも情報が出てきます。教科学習でも、スポーツでも、習い事でも、自分で学ぼうと思えば学べてしまう時代なわけです。だとすると、その興味・関心を引き出す仕組みや仕掛けこそ、学校に求められるものではないでしょうか。

 しかし、たとえ一人で学べたとしても、社会において一人で生きていけるのかと言えば、別問題です。他者との関わりを一切断って社会生活を送ることはできませんから。

 では、他者とどう関わっていくのか。学校はそれを学ぶ場でもあると思います。近年は、コロナ禍やS N S の影響もあり、生徒の対面コミュニケーションや対話の経験が減っている側面があります。だからこそ学校は、人と向き合い、関係を築き、対話を通じて他者を理解する力を育てる場であるべきだと考えています。

その問題意識を踏まえて、貴校で大切にすることは?

 自分で問題を解決する力を育てることです。そのためには、対話する力や、互いの意見をすり合わせていく合意形成の力が不可欠になります。ただ、この点については制度との関係もあり、難しさも感じているのが実情です。友人間のトラブルを例に考えてみましょうか。
 いじめ防止対策推進法の運用において、いじめの解決には、大人が積極的に介入することが求められています。これは子どもを守るという意味で必要なことです。一方で、大人が関与しすぎることで、子ども自身が問題を解決する機会を奪ってしまう側面もあります。トラブルになった生徒たちに教員が双方から聞き取りをし、必要に応じて謝罪の場を設ける……。何から何まで大人がお膳立てをし、外からの力で強制的に解決してしまうことはできるでしょう。しかしその結果、子どもたちの内側に何かを残すことはできるのでしょうか。

 これは非常にデリケートな問題で、言葉は慎重に選ばなければなりません。もちろん、トラブルやいじめを放置せよという意味ではありません。しかし、子ども同士の関係の中で起きる問題については、できる限り当人同士が対話を通じて解決していく経験を積むことも重要ではないかと考えています。

 オランダの学校では、生徒間のもめごとを生徒同士で解決する“仲裁係”を設置しているそうです。それと同じことまではできなくても、本校でも「対話の方法」を学ぶプログラムの導入を進めています。「どう話し合えばよいのか」「相手の意見をどう受け止めるのか」「どのように折り合いをつけていくのか」などを、実際の経験を通して身につける取り組みです。
 また、国語の時間を使って「哲学対話」なども取り入れています。「恋と愛はどう違うのか」などのテーマで、自由に語り合うのです。ルールは、一般論ではなく自分の本心からの考えを語ること、他者の意見を否定しないことなどです。

 先述の画一的教育や、受験やテストの点数が目的になってしまった現状で、子どもたちが学ぶ目的を見失いかねない現代だからこそ、ものごとを本質から考える経験を積ませたいと考えています。

子どもたちが持つものを「引き出す」教員でありたい

子どもたちが「学びの本質や目的」に出会うには、どうすればよいと思われますか?

 先ほどから述べている“他者や社会との関係”を抜きに、学ぶ目的は存在し得ないのではないでしょうか。つまり、自分が他者や社会の役に立っている実感、あるいはそういう人間になりたいという感情があるからこそ、人は学ぶのではないかと思うのです。

 また、私の考える学力とは「学び続ける力」であると、さまざまな場所で公言しています。受験のために知識を蓄えるだけならば、受験が終われば学びもそこで終了です。そもそも、学校で測れる”学力”など、人間が本来持っているあらゆる能力の一部でしかありません。それなのに、そこができないだけで「自分はダメだ」と思わせてしまうのは、教育の本懐ではありません。

 私は「答えはすべてその人の中にある」という言葉を教育上の信念にしています。現状、学校は、余計なお世話を焼き過ぎ、子どもたちに構いすぎではないかと。
 学校とは「知識を持っている教員が、生徒にそれを授ける場所」と捉えられがちです。しかし、子どもたちはすでに、自分の中に何かを持っています。したがって、教員の役割は、空のコップに何かを注ぐのではなく、すでに持っているものを引き出すことだと思うのです。

 結局、教育の核心とは、生徒が「自分で考えて、自分で決めることができる人」になることではないでしょうか。諸説ありますが、Education(教育)の語源はラテン語で「引き出す」ことを意味するそうです。本質を突いた言葉だと思いますね。
 そうした考えを保護者や生徒たちとも共有すべく、「親業訓練」の講演会やワークショップも実施しています。

ジュニアインターンシップ(職場体験)

生徒自ら企業を探し、アポイントや交渉を行う『ジュニアインターンシップ』は、
受け身ではなく、自ら道を切り拓く姿勢を育む同校ならではの職場体験。

そのような教育観を体現する、貴校らしい取り組みがあれば教えてください。

 中学で言えば『ジュニアインターンシップ(職場体験)』が挙げられます。職場体験自体は多くの学校でよく見られる取り組みですが、本校の特徴は、インターン先を見つけることも、企業への打診や交渉も、すべて生徒が自分で行うことです。通常は学校が先に文書を企業などに提出をすると思いますが、本校では逆です。生徒がアポイントまで取れて、初めて学校側が文書を出します。学校が決めて「ここに行ってきなさい」では、本当の意味で主体的な学びにならないと思うのです。

 高校も、同じような考えで探究学習を実施しています。『共創探究科』という科目を設置し、いわゆるマイプロジェクト(自分が興味のある社会課題を明らかにして、その解決策を考案し、実行する)の形で実践しています。
 ポイントは、考えて終わりではなく“社会実装”にまで持っていくこと。そのために必要な外部の組織や人々とつながることも、やはりすべて自分たちで行うのです。

 さらに、そのための校外フィールドワークは公欠扱いとしています。高校は1学年300人強ですから、年間を通して常に誰かが公欠で校外学習に出かけている計算になりますね。
 中学も高校も、それらの過程の中では、当然、アポイントを断られたり、うまくいかなかったりすることもあります。しかし、それでよいのです。それもまた“社会・他者との関わり”の中で見つけ出す学びにほかならないのですから。

常識を疑い、価値を生み出す「ゲームチェンジャー」を育成

今後の学校づくりについてお聞かせください。

 立命館は、建学の精神に「自由と清新」を掲げています。自分の頭で自由に考え、常に新しい価値を生み出そうとする姿勢のことです。また、教学理念として「平和と民主主義」を謳っています。
 それをふまえて生徒たちにどんな人になってほしいか、どんな人を育てたいかという教育目的を、5年ほど前に明文化しました。それが「ゲームチェンジャーの育成」です。
 ゲームチェンジャーとは、既存のルールの中に適応するだけでなく、常識を疑い、新しいルールや価値を生み出せる人のこと。生徒たちには「学びで社会を変えるような人になりましょう」と話しています。

 2020年のコロナ禍中、中学のある男子生徒が、足踏み式の消毒液スタンドを開発しました。当時は手押し式しかなく、それを不便に感じて、自分で設計して開発したのです。さらに、それに感銘を受けた他の生徒たちも協力して量産体制を作り、近隣の自治体や病院に寄贈しました。
 足踏み式のスタンドは今でこそよく見かけますが、先がけて中学生が開発したということに驚かされます。誰も気づいていなかった社会の困りごとを自ら発見し、自分にできる解決策や貢献を考え、実装まで持ち込んだ、まさにゲームチェンジャーを体現してくれたエピソードでした。

「ゲームチェンジャー」を育てるために、必要な教育とは何でしょうか。

 先ほどまでに述べてきた、現代教育への懸念と、目指したい教育が、まさにここに結びつきます。学びを矮小化することなく、子どもたちから「自分で考える」ことを奪うことなく、知識のみならず、マインドとスキルの両面を育てたいです。

 本校では、「4つのマインド」(自分自身・他者・社会・学びへのリスペクト)と「4つのスキル」(批判的思考・創造的思考・コミュニケーション・コラボレーションの力)という枠組みを掲げ、教育活動全体を通してそれらを育てています。これが身についたとき、ゲームチェンジャーが生まれるのだと信じて、日々の学校づくりに取り組んでいます。

 教育はすぐに成果が見えるものではありません。だからこそ、本質を見失わずに取り組み続けることが重要です。本校はこれからも、子どもたちが自ら考え、自ら動き、価値を生み出していく力を育てる学校でありたいです。

開校20周年を迎えましたが、どのような企画を計画されていますか?

 2006 年の守山市立守山女子高等学校から学校法人立命館への学校移管により開校した本校は、多くの卒業生・保護者・地域の皆様に支えられ、今年で20周年を迎えました。その記念として、秋には記念式典やホームカミングデーを開催し、在校生・卒業生のみなさんと母校の発展を盛大に祝うイベントを計画中です。記念式典では、「ドラゴン桜」「インベスターZ」の作者で漫画家の三田紀房さんをお招きし、講演会および生徒とのトークセッションを開催します。三田さんの作品に登場する人物は、常識に挑戦する、まさに「ゲームチェンジャー」そのものであり、トークセッションが楽しみです。 また、通常の20周年記念誌の発行に加えて、100人の在校生が100人の卒業生・恩師にインタビューを行うプロジェクトを一年がかりで進めており、『百人百声─リツモリ聞き書き二〇年史─』として発表します。前者が通史の「編年体」とすれば、後者は人物単位の「紀伝体」になりますね。また、『マンガ・リツモリ物語』も制作中で、
吹き出しの外国語版をホームページで世界に発信します。

 次の30周年に向けて、立命館守山中学校・高等学校の新しい展開にご期待下さい。